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Column the Column

volume 6. 2 January: 2011


 2011年1月第6号の『METAL EPIC』誌の「コラム・ザ・コラム」では、コスマン・ブラッドリー博士が大学の卒業の際に執筆したヘヴィメタルに関する論文を、およそ二回に分けて掲載する。本論文では、ヘヴィメタルの歴史を遡り、社会的な背景と思想的な考察が語られる。全文は5つの各章から構成され、今回掲載は序章から第2章までとした。これはコスマン氏のヘヴィメタル研究の成果ともいえよう。


*  *  *


忘却された歴史


コスマン・ブラッドリー著


 ここに公表する以下の文章は、ヘヴィメタルが過去、現在、未来の世界で遭遇した状況を論じたものである──


序章
 アメリカとイギリスの二大大国は、過去30年間に渡りヘヴィメタルの偉大な先人らを輩出し続けた。最初ヘヴィメタルはイギリスで生まれ、ブラック・サバス(注1)、ジューダス・プリースト(注2)、アイアン・メイデン(注3)らのバンドが地下世界を脱し、世界の日の目を見ることとなった。始めてヘヴィメタルの音を聞いた者は、誰しもが己の耳を疑ったという。ヘヴィメタル──ハードロックでの意思表示が限界とされた時より、アンダーグラウンドで成長し続けてきたこの特異な音楽は、70年代後半のイギリスで勃興したムーヴメント、ニュー・ウェイブ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィメタル──通称NWOBHM──のもと、一斉に世界に飛び出していった。そして、長年低迷してきたブリティッシュ・ロックの時代は終わりを告げた。エクストリーム音楽の正統な継承者であるヘヴィメタルが、新たな時代の舵を取ったのであった。当然の如く、その歴史的なムーヴメントはもう一つの大国──多種多様な人種が入り乱れる文明の地、アメリカにも流れ込んだ。イギリスでのヘヴィメタルの拡大は早急なものだったが、アメリカではそれよりも更に早かった。かつて、イギリスの若者らが社会への反骨精神をヘヴィメタルに見出したように、アメリカの若者らも同じ精神をヘヴィメタルに見出した。やがてイギリスから輸入されたヘヴィメタルは、アメリカで研ぎ澄まされ、より攻撃性を増したスラッシュ・メタルとなってヨーロッパに逆輸入される形をとった。過去全てのブラック/スラッシュ/デス・メタルの始祖と見なされるヴェノム(注4)の生み出した狂気が、結果として巨大な社会体制が内包する矛盾への最初の攻撃となったのであった。かくして、ヘヴィメタルの歴史が始まった……


注1 ブラック・サバス(Black Sabbath)……1969年にイギリスのバーミンガムで結成されたヘヴィメタルバンド。バンドの怪奇的なイメージや悪魔的なギターリフは後のヘヴィメタルに多大な影響を与えた。一説には、すべてのヘヴィメタルのリフはブラック・サバスが考案した、ともいわれる。代表作は『Black Sabbath(邦題:黒い安息日)』(1970)、『Heaven and Hell』(1980)等。

注2 ジューダス・プリースト(Judas Priest)……ブラック・サバスと同じく、1969年にイギリスのバーミンガムで結成されたヘヴィメタルバンド。通称「メタル・ゴッド」。ヘヴィメタルの様式美やファッション面でのイメージを確立したとされる。代表作は『British Steel』(1980)、『Screaming for Vengeance(邦題:復讐の叫び)』(1982)、『Painkiller』(1990)等。

注3 アイアン・メイデン(Iron Maiden)……1975年にロンドンで結成され、79年の第一作『Iron Maiden』発表以降、成功を続ける世界的なヘヴィメタルバンドの一つ。先のNWOBHMの代表バンドであり、ヘヴィメタルバンドながら全英チャートで第1位を4度記録する。バンド名は、中世の拷問器具に由来。夥しい数の名作を残しており、代表作は『The Number of the Beast(邦題:魔力の刻印)』(1982)、『Powerslave』(1984)、『Seventh Son of a Seventh Son(邦題:第七の予言)』(1988)、『Fear of the Dark』(1992)、『Brave New World』(2000)等。

注4 ヴェノム(Venom)……1979年にイギリスのニューカッスルで結成されたヘヴィメタルバンド。現在も活動を続ける。歌詞の中に悪魔、反キリスト教的思想を混入させ、当時最も過激なサウンドで後のスラッシュ・メタル、デス・メタル、ブラック・メタルに多大な影響を残した。ブラック・メタルの由来は、ヴェノムの第二作『Black Metal』(1982)からだといわれる。代表作は、『Welcome To Hell』(1981)、『At War With Satan』(1983)等。



第一章:屈せざる者
 幼いアメリカでヘヴィメタルのシーンをリードしていったのは常にメタリカ(注5)であった。このロサンゼルスで結束した四人の怒れる若者らが1982年に発表した『Kill 'em All(邦題:血染めの鉄槌)』は、アメリカでのヘヴィメタルの確立を誇示するとともに、社会の矛盾に対する長き戦いの始まりとなった。一方、同じくアメリカ生まれであり、ヴェノムの影響下にあるスレイヤー(注6)は、驚異的な速さで世俗の禁忌を堂々と歌い上げ支持を獲得、メタリカには“キリング・ビジネス”を実行するデイヴ・ムステイン(通称「大佐」)率いるメガデス(注7)、そして“炭疽菌”の名を冠したアンスラックス(注8)が続いた。かくして、1980年代の初期に確立されたヘヴィメタルは、アメリカに来て急速に拡大していったのであった。1980年代中期になると、ヘヴィメタルの社会への攻撃は更に過激になった。まずメガデスが『Killing Is My Business... and Business Is Good!(邦題:俺は殺しがビジネスだ、この仕事は儲かるんだぜ)』という名を冠した衝撃のデビュー作を1985年に発表。タイトルからして、彼らは決して西部開拓時代のアウトローを歌っているわけではなかった。彼らに言わせれば、“キリング・ビジネス”は実際の軍事国家の間で本当に行われていたことであった。これは以後続くこととなる、アメリカ・イラクの軍事社会に対する痛烈なメッセージでもあった。彼らの1986年発表の二作目のアルバムは更に強烈で『Peace Sells... But Who's Buying?(邦題:平和を売る、しかし一体誰が買うんだ?)』というタイトルが冠された。エド・レプカによって描かれた意味深なアルバム・ジャケット──三機の軍用爆撃機が赤い空を舞う背景──は、恐ろしいまでの暗示と警告を秘めていた。この作品はインテレクチュアル・スラッシュ・メタル──知的なスラッシュ・メタルという意味である──の最高傑作とされた。メタル大国に発展する欧州ドイツでは、そうした軍事社会への反抗が顕著に表れていた。挑戦的に機関銃と弾丸ベルトで武装した装いで登場したスラッシ三羽ガラス──ソドム(注9)、クリエーター(注10)、ディストラクション(注11)の三羽──は、アルバムを重ねる度に軍事社会の火中に晒される市民の意見を明らかにしていった。しかし、ヘヴィメタル史上最大の社会的論争を巻き起こしたのは、スレイヤーの“Angel Of Death”であった。ヘヴィメタル史上悠然と輝く名作中の名作であるスレイヤーの三作目『Reign In Blood(邦題:血の王朝)』は1986年に発表され、スラッシュ・メタルのマスターピースとなった。この作品の一曲目に収録された“Angel Of Death”は、ナチスの虐殺者ヨーゼフ・メンゲレ(渾名「死の天使」)について歌った世俗社会のタブーを犯した楽曲であり、そのあまりの過激性から当時のアメリカのコロンビア・レコードは国内配給を拒否したほどであった(しかし、後にゲフィン・レコードからの配給が決定した)。歌詞に表現された「アウシュビッツのやり方で死ね」という衝撃的な内容は、ヨーゼフ・メンゲレが収容所の囚人らに対し行った人体実験の狂気の様を迫真に描き切った事実であり、戦争と民族的差別に対する重大な警告であったにも関わらず、社会倫理はこの過激極まる歌詞を指して「ホロコーストはメタルで歌うな」と返答した。しかしスレイヤーは、ラブソングやセックスを歌うバンドではなかった。また、この曲は、歌詞の内容からスレイヤーを親ナチ主義者、人種差別者であるとの誤解も生んだ。スレイヤー自身は「ナチズムやレイシズムについて容認したわけではい。ただ単に興味がある内容だっただけだ」と答えた。何れにせよ、“Angel Of Death”は「スラッシュ・メタル至上最高の名曲」とされた。本作品自体はラジオで一切かからなかったものの、ビルボート誌のアルバム・チャートで最高50位台を記録するという異例の事態を引き起こした。この結果は、いかに我々が本作によって、社会通説のイデオロギー、アイデンティティ、更には宗教観までをも見直されたかという事実の証明に他ならなかった。現在もこの禍々しい名曲は、イスラエル、パレスチナ等の中東諸国の若者に強烈なメッセージを送り続けている。苛烈を極める国際的軍事社会情勢に対する反逆の意図の一つとしてである。


注5 メタリカ(Metallica)……1981年にアメリカのロサンゼルスで結成されたヘヴィメタルバンド。スラッシュ・メタル四天王(通称Big 4)の一人。シングル・アルバムの総売り上げは1億枚を超え、アメリカで最も成功したメタルバンドの一つである。グラミー賞ヘヴィメタル部門を7度受賞(名曲“One”の受賞の際、メタリカはブラックジーンズ姿で登場し、グラミー賞の歴史を揺るがしたという逸話がある)。代表作は『Ride the Lightning』(1984)、『Master Of Puppets』(1986)、『Metallica』(1990)、『St. Anger』(2003)等。

注6 スレイヤー(Slayer)……1981年に結成されたアメリカのヘヴィメタルバンド。スラッシュ・メタル四天王の一人。過激な歌詞や音楽性で社会的な誹謗中傷の標的になることが多い。一方でスレイヤーの攻撃的な音楽性は、後のブラック・メタル、デス・メタルの発足に大きく貢献した。代表作は『Hell Awaits』(1985)、『Reign in Blood』(1986)、『Seasons in the Abyss』(1990)、『God Hates Us All』(2001)等。 

注7 メガデス(Megadeth)……メタリカを脱退したデイブ・ムステインが1983年に結成したヘヴィメタルバンド。スラッシュ・メタル四天王の一人。歌詞に軍事的、政治的な内容を表現する他、複雑でテクニカルなサウンドはインテレクチュアル・スラッシュ・メタルと形容される。2002年の解散後、2004年に復活を果たし、現在も活動を続ける、世界的なメタルバンドである。代表作は『Rust In Peace』(1990)、『Countdown to Extinction』(1992)、『The System Has Failed』(2004)等。

注8 アンスラックス(Anthrax)……1981年のアメリカ、ニューヨークで結成されたヘヴィメタルバンド。スラッシュ・メタル四天王の一人。サウンドにインディアンのビートやファンク、ヒップポップを取り入れた革命的なヘヴィメタルを構築し、ヘヴィメタルの枠を広げた。代表作は『Spreading the Disease』(1985)、『Among the Living』(1987)、『Sound of White Noise』(1993)等。

注9 ソドム(Sodom)……1982年にドイツで結成されたスラッシュ・メタルバンド。日本では「ジャーマンスラッシュ三羽ガラス」と称される。代表作は『Persecution Mania』(1987)、『Agent Orange』(1989)等。

注10 クリエーター(Kreator)……ドイツ、エッセン出身のスラッシュ・メタルバンド。1982年結成当初はトーメンター(Tormentor)と名乗っていた。「ジャーマンスラッシュ三羽ガラス」の一人。代表作は『Pleasure to Kill』(1986)、『Coma of Souls』(1990)等。

注11 ディストラクション(Destruction)……1982年にドイツで結成されたスラッシュ・メタルバンド。「ジャーマンスラッシュ三羽ガラス」の一人。代表作は『Eternal Devastation』(1986)、『Release from Agony』(1988)等。



第二章:低迷
 ヘヴィメタルに対する社会の弾圧は、決して突如として始まった訳ではなかった。1970年のブラック・サバスの誕生から、一般社会の倫理はヘヴィメタルを敵視し続けてきた。加えて、大衆を擁護するはずである法律が、時として、ヘヴィメタルの言語・表現の自由を剥奪することすらあった。ジューダス・プリーストはそれらのために裁判にかけられ、結果としてバンド側の勝利に終わったが、社会という巨大な組織体制が遂にヘヴィメタルに対する弾圧を本格的に開始したのだと世界中に波紋を生む発端となった。この1985年にアメリカ、リノの少年二人──当時20歳のジェームス・バンズと18歳のレイ・ベルクナップ──がショットガンで自殺を図り、一人が即死した事件に関して、少年らの遺族は「息子の自殺はバンドの発するサブリミナル・メッセージが原因だ」と述べた。訴訟を起こされたのは、ジューダス・プリーストの4作目『Stained Class』(1978)であり、原告側は3曲目の“Better By You, Better Than Me”に含まれていた「Do it(やれ)」という歌詞が自殺の原因であると主張した。無論、バンド側がサブリミナル・メッセージを歌詞に混入したという証拠はなく、被告側の臨床心理士が「少年は元々暴力的な傾向があり、薬物の常習犯でもあった」という事実を証明し、結果的にはこの裁判は幕を閉じた。衝撃の裁判が勃発したのは1990年のことであった。また、ジューダス・プリーストは、アル・ゴア前副大統領夫人ティッパー・ゴアを中心とした“PMRC”(注12)という組織によって、「青少年に悪影響を与えるアーティスト」の中にリストアップされていた。一連の社会的弾圧により、ヘヴィメタルは1990年代に入り急激に勢力が衰えていった。かつて、ヘヴィメタルの名のもとに歓喜したイギリス、アメリカからのメタル・アルバムのリリースは、“PMRC”のウォーニング・ステッカーの煽り風を受けて殆ど消滅していた。ヘヴィメタルの歴史において、まさに90年代初期は、中世の暗黒時代さながらであった。先述したジューダス・プリーストからはロブ・ハルフォードが脱退。アイアン・メイデンからもブルース・ディッキンソンが脱退。ドイツのハロウィン(注12)は、マイケル・キスクとカイ・ハンセンを失ったことにより低迷。メタリカは、ブラックアルバムの成功から長き静寂に入った。全くの偶然の産物かもしれぬ状況が、恰も社会の思惑が実行されたかの如く、ヘヴィメタルから自由を奪い去っていた。80年代に若者に自由を与えたヘヴィメタルが、真逆にも自由を奪われるという、戦争の報復に次ぐ報復を連想させるに至る、凄惨なる惨劇であった。


注12 ペアレンツ・ミュージック・リソース・センター(Parents Music Resource Center)……日本では「父母音楽情報源センター」と訳される。「青少年に悪影響を与える映画、音楽、テレビ番組等を排除する運動」のことである。主な攻撃対象はヘヴィメタルやピップポップ等の、反社会的な思想を歌詞に表現するアーティストらである。問題のある内容のレコードにはウォーニング・ステッカーが貼られ、ステッカーが貼られたアルバムを発売しない小売店もある。これによって活動休止を強制されたヘヴィメタルバンドも少なくない。現在も活動は続いているが、この活動自体がゴア陣営の選挙戦略の一環であり、これらのヘヴィメタルを長年攻撃し続けてきた保守層や高齢者の支持を獲得するためであったともいわれている。メガデスは『So Far, So Good... So What!』(1988)に収録した“Hook in Mouth”でこれらの団体を非難した。主な攻撃対象はメタリカ、ジューダス・プリースト、オジー・オズボーン、フランク・ザッパ、ジョン・デンバー等。下記二組はポップ・アーティストである。

注13 ハロウィン(Helloween)……1984年にドイツのハンブルグで結成されたヘヴィメタルバンド。アイアン・メイデンを発したメロディアスなヘヴィメタルをパワーメタルサウンドで提示し、欧州で一大ムーヴメントを誇る「メロディック・パワー・メタル」の創始者として知られる。二部作構成の『Keeper of the Seven Keys』(1987~1988)は、すべてのメロディック・パワー・メタルのバイブルとなっている。マイケル・キスク脱退後は新たにアンディ・デリスを迎え、現在も第一線で活躍を続ける。バンド創成期のメンバーであるカイ・ハンセンは脱退後にガンマ・レイを結成した。代表作は『Keeper of the Seven Keys, Pt. 1』(1987)、『Keeper of the Seven Keys, Pt. 2』(1988)、『Master of the Rings』(1994)、『The Time of the Oath』(1996)等。


>>To be continued in:Column the Column:Next...


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