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Sword and Sorcery




 エピックメタルとヒロイック・ファンタジーの関連性について、我々は長いこと追求し続けてきた。我々が最も魅了された世界であり、憧れてきた興奮と恍惚の眩いヒロイック・ファンタジーの世界は、残念なことに現代の新しい風によって早急に忘れ去られようとしている。幻想が現実に変わり、神秘が科学に変わった。かつて我々が夢見た真のヒロイック・ファンタジーの原型は失われ始め、誰も『コナン(Conan)』の輝かしい冒険譚を囁かなくなった。古い時代の大切なものが失われてしまわないように、今一度ヒロイック・ファンタジーの世界を振り返る必要がある。話が難しくならないように、飽くまで簡潔に。そう、大昔のヒロイック・ファンタジーの世界では、すべての物事が単純かつ明確であった……

 ここでは歴史を振り返る。ヒロイック・ファンタジーとは主に、小説の内容によって用いられてきた。1963年にL・スプレイグ・ディ=キャンプが編集したアンソロジーの副題にこの言葉が初めて用いられたのがヒロイック・ファンタジーを広く確立させるきっかけとなった。伝説に名高い「剣と魔法の物語(Sword and Sorcery)」という副題は、幻想怪奇の原点『ウィアード・テイルズ』誌で活躍したフリッツ・ライバーが名付け親だ。L・スプレイグ・ディ=キャンプはアメリカで有名なファンタジー作家の一人であり、同国の作家リン・カーターらと共に活躍した。彼らはあのハワードの『コナン(Conan)』シリーズを改修したことでも特に有名だが、この試みは熱心なコナン・ファンの間では賛否両論に分かれている。ロバート・E・ハワードが創造した断片的なコナンの英雄譚を一つにまとめあげるのは問題だ。しかし、彼がこの世界の確立に貢献した事実は疑いようがなく、彼らの編集がなければ遠い国に住む人々はコナンの存在すら知らなかったのだ。後にL・スプレイグ・ディ=キャンプとリン・カーターは未完のまま残されたコナンの物語を完結させ、更には続編も描いた。

 我々はヒロイック・ファンタジーという言葉が1963年に始めて用いられたという事実には驚きを隠せない。その歴史を遡れば、古代の北欧神話やギリシア神話の英雄譚、近代ではウィリアム・モリスやロード・ダンセイニなどの幻想小説、またエドガー・ライス・バロウズの生み出した秘境冒険譚等に辿りつくが、時代を超えて現代にその世界を最も忠実に描いたのはやはりハワードその人であろう。1930年代に発表されたコナンがヒロイック・ファンタジーそのものを語り、これを知らずしてヒロイック・ファンタジーを語ることはできない。つまりヒロイック・ファンタジーの第一の英雄はキンメリアのコナンであり、ヒロイック・ファンタジーを知りたければこれを読めば良いということである。しかしここでも疑問は残っている。その"ヒロイック・ファンタジーとはどのような世界なのか"ということだ。リン・カーターの語った伝説ではこのように述べられている──



男は皆凛々しく勇敢で、女は揃って美しい。大海に光があふれ、都市には原始の美が煌き、王者の地位も剣一本で勝ち得られる。人生は冒険に満ち、神話の怪物がいたるところに、邪悪なる魔法使い、残忍な剣士が蠢き、魔法が猛威をふるう。神々が信仰の幻想ではなく、現実に姿を見せる時代……


最後の言葉:

 現在、我々がヒロイック・ファンタジーという数奇な世界を垣間見ることができるのは、こういった筋書きがあったからであった。真にロマンに満ち、日々が冒険の毎日……。男なら誰しも一度は憧れる世界である。我々のような理想主義者にとってこの世界は、まさに究極の聖地であり、生涯をかけて探究しても惜しくはない崇高な存在といえよう。我々はこの素晴らしくも高貴な太古の世界をもっと皆に知ってもらいたいと願っている。「何故か」と聞く向きも多かろう。答えは単純に、この伝説の物語が齎す興奮が少しの間だけ、我々を無情な現実の世界の外へと誘ってくれるからである……



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コメント
この記事へのコメント
僕のような現実逃避主義者(笑)にとってもヒロイック・ファンタジーの世界というのは、とても魅力的な世界です。
剣を持った戦士の姿を想像しただけで思わず熱くなってしまいます。
かつてマノウォーのエリック・アダムスが「Gods Of War」発表時のインタビューで「戦いの神であるオーディンをテーマにするにはジャズやテクノとかではだめだ。へヴィメタルでなければ」といった発言をしていましたが、僕もそれに同意します。へヴィメタルと神話やファンタジーは実に良く合う。
コスマンさんの言うように現代では科学が発達し幻想や夢や想像の世界といったものが軽視されている気がします。
もちろん科学が発達するのは良い事だと思いますがそれによって謎めいた部分やミステリアスなものが無くなってしまうと寂しいです。
僕は地球の中心部や深海には古代より存在する巨大生物がいると信じていますから(笑)。
2011/01/18(火) 23:57 | URL | taka #-[ 編集]
返信
エピックメタルファンから見て、エリック・アダムスが放ったその言葉は名言に値するでしょう。ヘヴィメタルという特異なジャンルに対する表現、更にはエピックメタルの根源的なテーマについても暗示しています。かつてこれほどまでにエピックメタルを的確に表現した言葉があったでしょうか。全く持って始祖たちの言葉は的を射ています。
地球の深層部についての意見ですが、非常に神秘的で魅力を感じます。海底は今だ未知のまま残されています。しかし、それは何故なのかと疑問に思うことがあります。これは科学が発達した現代世界と関連することなのですが、近代の人類は天に向かってその技術力を酷使し続けてきました。元来、人類は空に憧れ続け、努力をしてきました。その天に向かうという行為そのものは現代にも受け継がれているのではないでしょうか。現在、各国の内陸に無数の高層のビルが建設され、どの国が最も高い建造物を打ち建てられるか競い合っています。私が思うに、人類が天に向かい続けるのには、太陽への渇望──光への渇望ともいえます──があり、地下への恐れ──闇への恐れともいえます──があるからなのではないでしょうか。人類は重力に逆らい続けているのです。それは知識への渇望かも知れませんし、強欲の表れなのかも知れません。しかし地球の深層を顧みなくなったのは事実です。私が追求し続けている神秘の時代──私は大洪水以前の時代をそう呼んでいます──の叙事詩では、地下世界に眠る邪悪なものですら知識の源になり、探索者たちは深淵に降下していきましたが、やがてそれらも忘れられ、現代の時代へと移っていきました。それら神秘の時代では神々と人間が争う時代でしたが、今の時代では機械と人間が争う時代です。これが"変化"なのかも知れません。
2011/01/19(水) 16:07 | URL | コスマン・ブラッドリー #-[ 編集]
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