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manowar1st

かつてマノウォーのジョーイ・ディマイオは名言を吐いた。

「Death to False Metal!(偽りのメタルに死を!)」

それから数十年の月日が流れる...


ヘヴィメタルそのものを体現し、「エピック・メタルの王者」とまで謳われたアメリカのエピックメタルの始祖、manowar(マノウォー)。彼らの偉大なるWARLORD(戦士の道)が、エピックメタルの歴史と共に残されている。

知る者のみ知ればいい。彼らのメタルスタイルはまさにそうであった。しかし、今回彼らの物語を書こうと思い立ったのには、訳があったのだ。

私は、彼らの歴史を多くの人々が知らないという事実を悲しんだ。そればかりか、彼らの大仰な行動、言動の一部分のみが取り上げられ、話の種になる機会しか持たない。そのスタイルは冗談の一旦として人々に受け止められ、真実は影の国へと追いやられる。一部の自分の意志に忠実なマノウォーファンのみが彼らの情熱と信念を理解しているという現状。まさに暗黒時代だ。
自然と私は、一メタルファンとして、そしてエピックメタルファンとして、彼らの物語を語らずにはいられなかった。なぜなら、マノウォーのそのメタルの物語は、外見のみで判断するには惜しすぎる価値を持っているからだ。彼らの表向きに見える過激な言動や行動は、一つの意志局面とアイデンティティ表現の一端でしかない。私達にはもっと理解する努力が必要だった。

それでは、彼らの英雄譚に等しい壮大なエピックメタル・ヒストリーを、偏見を捨て視野狭窄から脱しつつ、辿ってみるとしよう。


栄光のマノウォーの歴史は、ジョーイ・ディマイオ(b)ロス・ザ・ボス(g)の二人が出会った時から始まった。まだメタルの創成期、1980年のことだった。かの有名なブラック・サバスのパイロテクニクスとして同行していたジョーイと、偶然にもそのオープニングアクトを務めていたロスとの出会いは、実に運命的だった。二人の若く、才能を秘めた男達はすぐに意気投合した。もしかしたら彼らは、メタルの王者となることが宿命だったのかもしれない。
1981年、ボーカルに、後に名シンガーとしてメタル界に名を馳せるエリック・アダムス(vo)、ドラマーにドニー・ヘムズィク(ds)を迎え、本格的にメタルバンド、MANOWARを結成する。マノウォーという、後に何百万人ものファンがメロイックサインを掲げるこの名の由来は"Man of War"(戦艦)という力強いキーワードから取られた。ここからが本当の意味でのマノウォーのキャリアの始まりだった。彼らは当時、毎日8時間もの長時間をバンド練習に当てていたという。信じられないトレーニングだ。彼らのプレイ技術が驚くほど高いのには、こういった裏付けがあるのだろう。
こうしてバンドとしての地盤を固めた彼らは1982年、リバディー・レコーズと契約をし、記念すべき1stアルバム「Battle Hymns」をリリースした。この時、従来の戦士の如く、契約書に自らの血で署名したという実話が残っている。彼らは、自分達が凡百のバンドとはメタルに対する熱意が違う(しかし彼らは、他のバンドへ攻撃するということはしない)、我々は本気だ、ということをレコード会社に理解させたかったのだろう。無論それは受け入れられた。特筆すべきことは、この1stアルバムに、エピックメタルの集大成として認知され、そして伝説的な名曲「Battle Hymns」が収録されたということだろう。私が幾つか昔書いたように、この曲がエピックメタルの歴史に及ぼした影響は計り知れない。
続く1983年には2nd「Into Glory Ride」をメガフォース・レコードよりリリース。このアルバムからドニーに変わり、軍隊の行進のようなドラムプレイを叩き出すことでファンに称賛される名ドラマー、スコット・コロンバスが加入。エリック・アダムス(vo)、ジョーイ・ディマイオ(b)、ロス・ザ・ボス(g)、スコット・コロンバス(ds)、この4人の戦士達にてマノウォーの黄金期が始まったといっても過言ではない。このアルバムにて彼らは「コナン・ザ・グレート」に匹敵する重厚なヒロイズムと、カルト的な雰囲気を醸す楽曲でエピック・メタルの基礎を築きあげる。もしくは、この時点で、彼らのエピックメタルは既に完成していたのかもしれない。他のエピックメタル四天王と比べて、たった83年に発表されたこのアルバムの完成度は異常ともいえたからだ。そして至高の名曲「March For Revenge」は彼らの代表曲として今なおファンにリピートされ続けている。(私も愛してやまない曲である)
1984年には、彼らを世界的に初めて受け入れた国、イギリスの熱意に感謝して制作された3rd「Hail To England」を発表する。イギリスが始めて彼らを歓迎したことからも分かるように、彼らのこの3rdで完成させられたエピック・サウンドは欧州全域で更に熱烈に歓迎された。本作には本編が短いながらも絶対的な名曲「Blood Of My Enemies」「Kill With Power」、そして大作叙事詩のスタンダードとなる大傑作「Bridge Of Death」を収録した。全く彼らの才能は驚異的だったといえる。
そして同年、恐るべきハイペースで4th「Sign Of The Hammer」を作り上げる。爆発的な才能であった。移籍した(彼らがレコード会社を転々とした理由には、当時どのレコード会社もマノウォーの力量を押しとどめることが出来なかった、とファンの間で言われている)10レコーズよりリリースされたこのアルバムこそ、ヘヴィメタル史に悠然と輝く世紀の名盤であると、万ものメタルファンが認めた。これまで非常に高いポテンシャルを発揮し、継続させてきた彼らが、戦士の道を経て辿りついた究極のエピックこそがSign Of The Hammerだった。恐らくこの名盤は永遠に語り継がれるだろう。今でも4thの栄光に満ちた名曲達(一部では全てが名曲とまでもいわれる)「Thor (The Powerhead)」「Mountains」「Sign of the Hammer」「Guyana (Cult of the Damned)」の煌きは失われていないのだから。
その後、彼らは僅かばかりの休息に入る。彼らが次のアルバムを発表するまでには、約3年待たねばならなかったのだ。


以上が、初期マノウォーの歴史である。
ここで語った初期時代に、マノウォーはエピックメタル界の王座の地位に上り詰め、エピックメタルの記念碑的な4thを皮切りにして、彼らの長い歴史の中に第一の終止符を打ったのである。

これで、少しでも皆が彼らのことを理解してもらえたのなら、この記事を書いた意味は大いにあるだろう。

もちろん今回ここで語ったマノウォーの物語は本の一部でしかない。
それこそ彼らの物語は英雄コナンの冒険譚に等しく夜空に輝く星々の如く存在し、まだまだ私が知らないことなど山ほどある。
だがこれだけはいえるのだ。彼らのエピックは、メタルが続く限り決して終わることはない。
根拠はないが、私はそう信じることが出来る。彼らのメタルにはそう信じるさせるだけの説得力がある。

「偽りのメタルに死を」との衝撃的なフレーズを掲げた時の彼らの勇敢な姿は今でも脳裏に焼き付いている。いや、焼き付いているというよりは、思い浮かべることが出来る、といったほうが適切だろう。実際に私は見たわけではないのだから。しかし、その想像にすぎない光景が、鋼鉄の錆た剣にこびりついた血のように消えないのだ。

鋼鉄の戦士達、マノウォーの戦いの歴史はまだ続いている。彼らのエピックメタル・ヒストリー第二幕は、また今度語ることにしよう...(マノウォーにも馴染みの深い、ソードアンドソーサリーの名作映画「コナン・ザ・グレート」の魔術師が語るエピローグを捩って...)

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