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Introduction

Robert_E_Howard

「エピック・メタルとは、叙事詩的なヘヴィメタルの総称であり、主に大仰かつ劇的でヒロイックな音楽性を示す言葉である」 [More stats] 

 ──Cosman Bradley


◆新着情報 News Topics
[Reviews]
VALKYRIE 「Deeds of Prowess」
WRATHBLADE 「Into the Netherworld's Realm」
VIRGIN STEELE 「Nocturnes of Hellfire & Damnation」
[Release]
Jack Starr’s Burning Starr 「Stand Your Ground」
Cirith Ungol 「King Of The Dead」
Manilla Road 「To Kill a King」

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METAL Memories



ウォー・アット・ザ・ウォーフィールド [DVD]

Behold, SLAYER Show...


 10月28日、先週ツタヤでレンタルした音楽DVD、スレイヤー(SLAYER)の「War at the Warfield」を視聴した。スレイヤーについてはもはや説明することさえおこがましいが、あえて説明すると、彼らはヘヴィメタルの歴史の中で最も偉大なスラッシュメタルバンドの一つである。彼らは1982年にロサンゼルスで結成され、1983年「SHOW NO MERCY」でデビューして以来、一貫してハードコアかつ激烈なメタルをプレイし続けている。DVDの中でも触れられているが、正真正銘"スピードメタルの帝王"である。そんな唯一無二の帝王スレイヤーが2003年に世に送り出したライブDVDが本作だ。サンフランシスコのウォーフィールド・シアターで行われたライブの映像を中心に、貴重としか言いようがないメンバーへのインタビューやファンの実態が生々しく収められている。
 一見して、彼らはやはり完璧だった。デビューから20年あまりも経過しているにもかかわらず、当時のアルバムの曲を倍速ともいうべきスピードと正確さでプレイする。小細工の一切ない暗くシンプルなステージから発せられるのは、凝縮された怒りと憎しみの激情のみである。今回、私は始めてスレイヤーのライブの映像を見たのであるが、正直衝撃的だった。熱狂的なファンが「スレイヤー」と道端で絶叫し、ライブではメロイックサインを掲げ頭もへし折れんばかりにヘッドバンキングする。スレイヤー自身も恐ろしいまでの貫禄と共に長髪を乱して──巨体のケリー・キングはスキンヘッドだったが──頭を左右に振り、暴虐的で禍々しいリフを刻む。これは狂気の光景だろうか。スレイヤーとファンは破壊的なメタルのサウンドと共に一体になっているのだと痛感する。ケリー・キングも語る「ライブとはカオスだ」という言葉が身にしみる凄まじいまでのライブ映像だった。
 更に私に衝撃を与えたのは、ファンの光景とインタビューだった。9歳の息子のバースデーにスレイヤーのライブに連れてくる父親、自分の肉に血を流しながらSLAYERのロゴを刻む若者、「トム──トム・アラヤ、スレイヤーのヴォーカリストである──のために死ねる」とインタビューに答えるファン、あまりにも熱狂的なこの光景に私は目を疑った。話では聴いていたが、実際に映像に収められたその生々しさは、一見に値する。なによりスラッシュメタルバンドがここまで熱狂的で真摯な支持を勝ち得た、という事実を直接的に感じることが出来た。メンバーはインタビューでこう語る「グラミー賞なんていらねえ」、「くそくらえ」これが彼らスレイヤーのスタンスである。何物にも左右されず信念を一心に貫いている。故に今なお音楽性が左右されない。それは決して保守的でなく、"やりたいことをやっている"だけの彼らの実態なのである。本編で、私は非常に貴重な時間を過ごすことが出来た。これこそがヘヴィメタルである。

SLAYER!!!!
C.B
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Invictus



Country: United States
Type: Full-length
Release: 1998
Reviews: 94%
Genre: Epic Metal



アメリカ出身、"エピックメタルの帝王"ヴァージン・スティールの1998年に発表された8th。

前作『The Marriage of Heaven & Hell, Pt. Ⅱ』(1995)、前々作『The Marriage of Heaven & Hell, Pt. I』(1994)から展開されてきた壮絶なる「Marriage Trilogy」に終止符を打つ作品が、本作『Invictus』である。"屈せざる者"との意味を持つ強靭なアルバムタイトルは、本格的なストーリー・アルバムとして発表された本作の内容に大きく関係してくることになる。制作メンバーにはディフェイ(David Defeis:vo、key)とエドワード(Edward Pursino:g)の偉大なる名コンビが連なり、ドラムには前作でも密かにプレイしていたFrank(The Kraman)Gilchriest(d)、ベースにはRob Demartino(b)を迎えている。プロデューサー、ミキシングはSteve Youngが担当する形となった。

エピック・シーンにおける数多の功績と活躍とによって、欧州での絶対的地位の獲得と、それに伴う叙事詩的音楽の表現の場を得た彼らが満を持して放った8枚目の今作は、歴史的傑作と謳われたマリッジ第一部、及び第二部に勝るとも劣らぬ驚異的な完成度を有する作品となった。全編に跨りボーナストラック無しでおよそ80分にも到達しようかとする本作は、余りにも濃密かつ芸術的な視点を交えた内容の、広大な海洋の深淵のような深みを持つ叙事詩的作品である。故に本作については語るべきことが多くある。

本作を音楽的側面から語るとなると、まず第一に注目すべきは、彼らのアルバム・クレジット中最も攻撃的なギターリフの使用である。前作辺りから顕著になり始めた野蛮──彼らの言葉でいえば「Barbaric」──なリフを全面的に押し出した作風は今作でも当然の如く踏襲され、今回更にヘヴィメタリックなフランク・ギルクリースト(ds)の強烈なツーバスが加わった。また、叙事詩的なフレーズのセンスはより一層洗礼され、凝縮された蛮性と鋭角な固さを早急に宿すようになった。本作のアグレッシブなサウンドは聴いていて心地がいい(もちろん決して"軽薄な"という意味ではない)。

次に注目すべきは、これまで導入されてきた古代ギリシャ/ローマ系のメロディがより大胆に楽曲に添えられているということである。ディファイの謳い回しも急速にエピカルなシャウトを連発するようになり、神秘的な裏声も神々しいまでに崇高な表現力を身につけ始めた。冒頭を飾る名曲#2のサビには神聖極まりない裏声がフューチャーされており、究極の高揚感を誘発する。ヒロイズムを極めた#6には大仰な古代ギリシャ/ローマ系のメロディが大胆に導入され、ラストを飾る大作#16"Veni, Vidi, Vici"はカエサルの歴史的な名言「来た、見た、勝った」がそのままタイトルに冠されている。これらの古代英雄神話世界への傾向こそは、ヴァージンスティールのヒロイズムを形成してきたものである。本作の後に発表される古代ギリシア神話を題材にとった「アトレウス二部作」は、そうした世界観の完成であり、本作での成功から形作られていったのだ。

本編のアルバム全体の長さからも分かるように、楽曲の長さも相当なものであるが、ほぼ全てが静と動の転調、展開の発展といった劇的な手法の賜物である。これらからは、ヴァージンスティールのエピカルなヘヴィメタルに対する強固な姿勢が感じ取れる。中でも信じられないような展開を見せる#3等は鳥肌ものだ。先述した静と動の内容する二面性のように、天国と地獄の対極の世界のように、楽曲はそれらの表現と共通する。

孤高の英雄主義をエピカルかつヒロイックなサウンドで唱え、不屈の精神性を持って我々に最も重要な人間的メッセージを送るヴァージンスティールこそは、真実の探求者といえよう。彼らの描く叙事詩的世界では、音楽はエンターテイメントしてのそれではなく、ここでは音楽が"精神"と"生と死"、そして人間の人生を物語っているのである。荒廃しきった音楽世界において、彼らの存在は珍妙ですらある。そして彼らは決して売れないであろうが、一部の人間に音楽以上のものを提供し続けるであろう。

ここまで展開されてきた「Marriage Trilogy」を総括する本作には、最も重要な思想が隠されている。それは、ディファイが描く生涯のテーマである。タイトルの意味する〈反逆〉とは根本的な人類の精神を象徴しており、本編の物語では、古い人類──正しくは古き神々の子孫としての人間──が新しく侵入してきた神に対しその〈反逆〉を行う様が描かれている。更に、ここで加わってくるのが〈異教徒〉という概念と、〈輪廻転生〉という思想が生み出す精神の永遠性である。ディファイは古代の人間達を異教徒とし、それらは新しく生み出されたものに対する〈反逆〉を常に行う者として描いている。

『The Marriage of Heaven & Hell』は"天国と地獄の和解"をテーマとして、様々な叙事詩を神話時代のタペストリーの如く展開してきた。しかし今作で描かれたのは、人類と神に置き換えられた〈古き世界〉と〈新しき世界〉の対立──これは、かつてハワード(*)が小説の世界で描いたものに似ている──であり、それは現代のペイガンとキリスト教の対立にも置き換えることが出来る。天国と地獄は和解することが出来るが、宗教は永遠に和解することが出来ない。楽曲中に表現された激しい静と動は、単に劇的な楽曲を構成するための手法ではなく、対極にある二つの世界の相違を描くためのものとして真実を物語っているのである。

*アメリカの作家ロバート・E・ハワードは、ヒロイック・ファンタジーの生みの親としても知られる他、生涯に渡り、文明の興亡並びに〈古き世界〉と〈新しき世界〉の対立を根本的なテーマとして小説を執筆し続けた。代表的なものには、『King Kull』シリーズに登場する蛇人間と人類の対立がある。

少々大袈裟なことを述べるが、人類のごく一部の批評家達は、問題提起するのが上手である。特に、日本人は社会問題に対しての疑問点を巧みに見いだす傾向にあった。そういった書物は数え切れない程溢れている。しかし、問題提起をしても至って改善策は提起されない。問題を探し出す部分で終わってしまっているのだ。その点でディファイが本作で提示した不滅の意志は、我々の思考の一歩先を行っている。ディファイはよくヴァージンスティールのストーリーを聞かれた際に、「我々の物語は現代のことなんだ」と発言している。本作のストーリーでは、700年に渡る神との戦いの結果、人間は自由を得る。しかし、ディファイはこう語る「自由を生かすも殺すも我々次第だ」と。



1. Blood of Vengeance
人類は太古の神々の子孫であり、血の復讐(Blood of Vengeance)を遂げるために立ち上がる。馬の嘶きから剣の斬撃、首の飛ぶ音、そして神に対する反逆の叙事詩が幕を開ける。
2. Invictus
アルバムのタイトルトラック。不屈の闘志を燃やすエンディアモンが神に対し屈せざる意志を誇示する。強烈無比なバーバリック性を発散した珠玉のエピックメタルであり、重くスピーディなベースラインはマノウォーにも通じる。サビでは恰も天使を彷彿とさせる優美な裏声が感動を誘う。ヴァース、ブリッジとサビの対比の凄まじさは、歌劇のドラマティックな場面をも彷彿とさせる。なおウィリアム・アーネスト・ヘンリー(William Ernest Henley)のヴィクトリア時代の詩『Invictus』(1875年)がモチーフであるという。
3. Mind, Body, Spirit
精神、肉体、魂。その全てはかつて人類にとって一つのものであったという。前半は勇壮なリフをメインにして進み、後半からは別の曲とも疑いたくなるバラード調に変化する。当時、エピックメタルに慣れていなかった私の耳にはあまりにも衝撃的な曲であった。後半からの劇的な展開は一体何なのだと、何度も考えた。しかしこれがエピックメタルだと認知するまで時間はかからなかった。彼らの楽曲の中で最もドラマティックな楽曲の部類に入ることは必至である。
4. In the Arms of the Death God
物語の合間に挟まれるインストゥルメンタル。ギリシア風の旋律を引用し、次曲へと流れるように繋げる。
5. Through Blood and Fire
人類はエンディアモンの意志に応じ、新しき神から自由を取り戻すために立ち上がる。恰も決起するかのような、攻撃的なリフが印象的な楽曲である。シンフォニックなサビも勇壮さを高らかに歌い上げる。中間部でのギターソロの盛り上がりは本作を主張している。シンプルにまとまったエピックメタルの傑作としてシングルカットされたことも頷けよう。
6. Sword of the Gods
神の剣を天高く掲げ、人類の血の復讐が死の鉄槌の如く振り下ろされる。全編を貫くヒロイックな英雄的メロディが高揚感を最高潮に高める本作屈指の名曲。その鳴り止まぬ勇敢な旋律は、斬られた肢体から噴き出す血潮の如くである。この曲の中間部の古代ギリシア/ローマを想起させるシンフォニーは、次作「アトレウス二部作」にも導入され、重要な役割を果たす。
7. God of Our Sorrows
これまでに、人類が地球に刻み込んできた悪しき行為を悔いる悲劇的な詩。魅惑的なピアノとディファイのつぶやくような声のみの小曲である。しかしこの約1分に凝縮された神秘的な時間はつとに印象深く、感慨深い。メロディは、名曲"Crown of Glory"冒頭の意味深な旋律を彷彿とさせる。
8. Vow of Honour
#7に次ぐ小曲。強大なる神と対峙する際、屈せざる意志と、反逆心のみが人類に残された最後の武器となろう。緊張感の迸る静寂の中、ディフェイの裏声が野蛮にも厳かに響く。本曲は、常に美しさと野蛮さは紙一重であるという事実を物語っている。
9. Defiance
人類にとって最大の遺産は、剣による戦いの記憶である。そしてそれは、これからも変わらないであろう。本曲は、古典的なヘヴィメタルのスタイルを強く感じさせる荒々しい楽曲である。ヘヴィにギャロップするリフにヒロイックなメロディが乗り、恰も戦馬を駆る戦士をかすめる風を思い起こさせる。この雄々しい興奮こそヴァージンスティールの生み出す至高のエピックメタルであろう。
10. Dust from the Burning
野蛮に疾走するエピックメタル。重厚なリフを歯切れよく刻み、その最中に高潔なヒロイズムと緊張感を同居させる。本作の楽曲は非常に完成度が高い。
11. Amaranth
短いインストゥルメンタル。タイトルは不滅の花の名である。
12. Whisper of Death
神との戦い。厳かなる死の囁きは、神とエンディアモン(人類)のどちらに訪れるのであろうか。暗澹たる雰囲気──ヴァージンスティールに絶えず付き纏う、高度な文明が荒廃したかのような雰囲気──を身に纏い、サビで勇壮な転調を演じて聴かせる。9分に及ぶ大作でありながら、時折神秘的なパートも織り交ぜる展開は、恰もこの長さが必然的あるかのような説得力を持って語りかけてくる。
13. Dominion Day
天に至るかのような神々しい旋律が、夢にまで見た人類の神からの独立宣言を宿命の警笛の如く高らかに告げ、全身の浮遊感さえ感じさせる。簡潔に述べれば、この楽曲では人類の王国の建国記念日(Dominion Day)を歌っているということである。私は、この曲に個人的に入れ込んでいる。なぜならその感覚がこの上なく心地いいからだ。クライマックスに至る扇情的な展開は絶品としかいいようがなく、何度聞いても感銘を受ける。ここまで視聴すれば、大方本作がヘヴィメタルによる古典劇──古代ギリシャ/ローマの叙事詩を題材とした演劇──の再現であることが分かる。
14. Shadow of Fear
暗く重い雰囲気が漂う。それ即ちエピックメタルであり、後半の盛り上がりも耳を惹く。
15. Theme: Marriage of Heaven and Hell
マリッジのテーマメロディを短いながらに優雅に奏でる。最後の楽曲への布石としては最高であろう。
16. Veni, Vidi, Vici
我々は来た、我々は見た、そして我々は勝った。遂に人類は神をも征服し、剣によって生き、未来を手にした。最後に、人類は王冠を自らに授け、長き物語──マリッジ三部作──は幕を閉じる。ヴァージンスティールが生み出した史上最高の大作曲である本曲は、人類の勝利における窮極の歓喜を、カエサルの歴史的な名言を用い表現した至高の一大叙事詩である。ラストパートの、感動の域を超えた壮大な展開の中に突如出現する神秘的極まりないローマ的な──栄光のローマ帝国時代を想起させるものである──ピアノの旋律は、恐らく彼らが生み出した窮極の叙事詩的旋律である。最後の大団円ともいうべきパートで、ディフェイがその叙事詩的旋律に歌詞を乗せて歌い上げる場面は、感涙に値する。これはヴァージンスティールがエピックメタルという枠組みを越え、歴史の一部となった瞬間である。エピックメタル史上に残る壮大なフィナーレを通じ、我々は一つの興亡を目にしたのである。


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RETURN TO VIRGIN STEELE!!!!


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 今日、10月25日は、我々エピックメタルファンにとって記念すべき日となった。このジャンルの創始者の一人であり、"エピック・メタルの帝王"として君臨してきた唯一無二のマエストロ、ヴァージンスティールはこの日、12枚目となるアルバム「Black Light Bacchanalia」を発表した(聖地ドイツでは10発22日に発売ずみのようだ)。今作では、前作で展開された《リリス・プロジェクト》を先延ばしにし、初期のアグレッシブかつバーバリックな作風に回帰した、ということがディファイのインタビューで既に明らかとなっている。しかし歌詞の内容的には、前作との関連性が高いという。重要なアルバム・コンセプトは、「キリスト教と異教」に関する叙事詩的な歴史の様で、壮大な構想に期待は大いに膨らむ。また私達は、ヴァージンスティールがエピックメタルファンの期待を決して裏切らない、という事実も承知済みのはずである。私は早くこのアルバムが聴きたくて仕方がなく、日々武者震いしている様だ。
 思えば、彼らの歴史はエピックメタルの歩んできた歴史そのものであった。デイヴィッド・ディファイの才能が爆発したあの時──1994年、「The Marriage of Heaven & Hell」が発表された時である──から、エピックメタルは独自の方向性へと飛躍するきっかけを得たのだった。そしてその頂点に君臨する偉大なるエピックメタルバンドが、今なお創造をやめることなく、意欲に満ち溢れ、作品を創り続けている事実は、多くの感動を生むことだろう。私達は彼らの新しい試みを受け入れ、世俗の冷ややかな嘲笑に屈することなく、共にこう叫ぶのだ。「Invictus!
 私を含めた全てのこの国のヴァージンスティールファンが最も悲しむべきことは、この歴史的な日に、彼らのアルバムを手に入れることが出来ないということだ。国境の差とは、時に非情なものとして牙をむく。しかし私達はメタルには国境がないということを知り、時に屈することなく、彼らの新作が届くのを根気よく待つことだろう。私達にできることは、一刻も早くアマゾンの11月9日発売予定の「Black Light Bacchanalia」のページに飛び、予約することだ(そして嬉しいことに、ボーナスCD付きのリミデッド・エディションの予約も可能である)。最後に、ディファイがよく使う言葉で、この文章を占めることとしよう。

By the gods!!!!
2010年10月25日 コスマン・ブラッドリー

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Column the Column

volume 3. 23 September: 2010


 長年、コスマン・ブラッドリーこと私はエピックメタルを追求してきた。私はこれまでにあらゆる議論を尽くしてきたが、最上の知識者であり、神秘学の権威でもあるクリス・マスティメノン教授との間に交えられた激論は、真に迫ったものだった。ヘヴィメタルの根底にあるものとは何か、ヘヴィメタルの起源とは何か、それらの議論を私達は永遠と思えるほど語りあった。議論はあまりにも長く、また多岐に渡るものであったため、ここでは一部を公表するに留まっている。なお、『METAL EPIC』誌では、本文を二回に分けて掲載するということで承諾した。


Act Ⅰ:


クリス・マスティメノン:コスマン博士、どうやらきみは長い間エピックメタルについて研究してきたようだが。何故他のジャンルを差し置いてこの特異な分野を追求してきたのか、それには様々な経緯があるのだろうな。私の認知する部分では、ヘヴィメタルは多くの分野を抱えており、アメリカのサラダボウルさながらに人種を選びはせん。今やメタルの影響力の及ぶ範囲は巨大なものとなり、私の個人的な予測としては、今後もその市場が拡大していくだろうことは間違いなかろう。
コスマン・ブラッドリー:全くその通りだ。変わって、質問に答えさせていただくが、私がエピックメタルを研究するようになったのは、私がまだ若く、物事を無分別に受け入れていた頃まで遡る。私の経緯に関してはいずれ語っていこうと思っているのだが、それは今ではないようだ。私達がこの貴重な時間で語るべき確かなことは、ヘヴィメタルの迫真に迫った思想と精神、文化的背景と起源に絞られているのであり、私の過去など、取るに足らない要素を語るべきではないのだ。その過去といっても当然、私の個人的感情の産物に過ぎない。教授、私達の議論は、主観的に行われるものか客観的に行われるものか、私には判断しかねる問題だ。個人としての人間の判別は、主観的な分野に属するものだ。自ずと私達の議論にも、一個人としての感情的な部分が混入してくることは避けられない。しかしヘヴィメタルのために、私達はより広い視野で、今後とも議論を重ねていかなければならない。閉所に押し留められた精神の目では、見える範囲も必然的に狭められてくる。もちろんそうなれば、エピックメタルは愚かヘヴィメタルの本質を見極めることは不可能となる。ヘヴィメタルとは、一般大衆の自発的な見解で固執した世界と捉われがちだが、実際にはそうではなく、メタルそのものが所有する領域が広く公に浸透していないために、そういった誤解を招いているに過ぎないことは、あなたも御存じのはずだ。真に現実に隷属しているのはむしろ普遍的な人間達の方で、彼らはヘヴィメタルの巨大な世界を断片的にすら理解するには至っていない。しかし、それは私達研究者も同じ──もちろん、通常の人間と私達が違っていることを前提にしたうえでだ──ことであり、結局のところメタルの本質とは、不鮮明なままなのだ。私達のようなメタルの信仰者が周囲の人間と違っているところはといえば、私達はメタルの目を通して、より広い世界を見たり体験したりしているということに他ならない。それは現実的な隷属の範疇を超えた、宇宙的な視野の産物であると私は信じてやまない。確かにヘヴィメタルの中には、現実社会の政治、社会に反抗する題材を求める向きもあるが、先述したように、それもヘヴィメタルの全てを語っている訳ではない。メタルの攻撃的な側面を考慮すれば、自然と反社会的な方向性を打ち出すのは必至といえるだろう。スラッシュ・メタルなどはまさにその典型といえる。リフの破壊的な速度に加え、軍事爆撃機の如く"矛盾した社会"という攻撃対象を一点に絞ることで、重要なコンセプトが一貫性を持ち、メタルの特徴の一つとしてあげられるテーマの明確性が提示されているのだ。私が思うに、ヘヴィメタルのあらゆるジャンルは明確な意味を帯びており、その一つ一つに確立された世界観が存在している。教授に理解していただきたいのは、エピックメタルがヘヴィメタルの多様化された分野中、最も広大な領域を有しているということなのだ。
クリス・マスティメノン:きみのいうように、個人と大衆の区別はしなければならんようだな。肥大化しきった意見の中から真実性の高い意見を発見することは難しいからな。しかしそれは、意見を見境なくわめきたてる聴衆に限ったことではないのか?私達のような真のアウトサイダーは、現実のごく狭い既存の概念に捉われることはない。私は単に神秘的なもの、一般には信じがたいと凝り固まった偏見で思われているものへと常に関心を向けておる。無論、宇宙へのより広い分野への追求もその一つだが……。最もヘヴィメタル──とりわけエピックメタル──が、私達神秘家がこぞって追及している分野の知識を楽曲に積極的に取り入れている、という点では、私も認めねばならん。つまりは、キリスト教世界の概念とは正反対な"死、殺人、地獄"といった不快極まるテーマを内包しているだけでも、私はヘヴィメタルが興味をそそる音楽だと思うんだがね。スラッシュメタル、更にいえばそれらの発展型でもあるデス/ブラックメタルは、必ずしもそういった要素を扱っておる。これには、ロック本来の根底にある反骨精神が影響しておるのだろう。ヘヴィメタルは、その反骨的精神に宗教観も加味しているというところも、注目に値する。しかし実際には、キリスト教を崇拝した人々よりも、異教──キリスト教から見ての異教にすぎんが──を崇拝していた人々の方が多いそうじゃないか。キリスト歴は、まだおよそたったの2千年しか経過しておらんからな。それ以前に刻まれてきた、有史以前の神秘のヴェールに覆い隠された太古の歴史を想像すれば当然のことだが。考えを突き詰めていくと、ヘヴィメタルの行為は、<古き世界>を現世に蘇らせようとする働きの一環なのかもしれんな。彼らが音楽で実践してきたことは、キリスト教を非難し邪悪な存在を崇拝する、ということに他ならん。といっても、その邪悪な存在とは、文明圏の秩序だった世界の概念でしかないのだがね。きみも知っているだろうと思うが、ヴァイキングメタルの世界では度々詩にされるオーディンも、異教の神なのだ。なにせ中世初期のヨーロッパでは、北欧の人種はすべてが異教徒と見なされていたそうだ。さながらハワードのコナンみたいな話だとは思わんかね。文明と未開では大きく思想が異なっておる。文明圏で信じられてきた神も、一旦外に出てしまったら何の価値も持たなくなるのだ。その分、平等なメタルの神は寛大だと思うのだがね。話を戻すが、私が思うに、キリスト教の拡大は、一般にいう《善》と《悪》という二つの概念を明白にしたのだ。私が追求している分野の一つでもある古代の民俗学では、太古の世界において、この明確な二つの概念は甚だ朧気な影でしかなかったと伝えられておる。古代の人類は、生活や思想のすべてを自然の諸力に預けておった。自らの命をもだ。それがどういうわけか、人間の中に自然の支配から逃れるという考えが生じ始め──最も、今も人類は自然の支配から完全に逃れてはおらんのだが──、現代のように人間が人間を管理するという状況になってしまったのだ。しかし、人類の自然への反逆という行為は、あらかじめ人間という生き物の生態を辿っていけば当然の結果だったのかもしれん。ヘヴィメタルにも強烈に表現されてもいる"怒り"や"憎悪"などの原始的な衝動は、原始の人類が発現した潜在的な本能なのだ。私達は、時にその感情に支配され、怒ったり憎しみを抱いたりするものだ。詰まる所、人間は常に何かに支配されておるということだ。反逆は馴染み深いものであり、そしてそれを行使するのが私達の運命なのだ。一方、人間が人間を支配するという状況に対しては、ヘヴィメタルがその体制を根本的な部分から崩しにかかっており、先述したように、<古き世界>の信仰を再び到来させることを望んでおる。その証拠に、普遍的な人間が垣間見ることのない地下では、ヘヴィメタルのシーンが着実に成長を続けておる。そしてヘヴィメタルの信仰者たちの抑圧された鋼鉄の剣が、現実の矛盾を完全に打ち砕く時が来る日もそう遠くはないだろう。その時こそ、私達は本来の人類がそうあるべき理想的な姿に戻ることが出来るのだ。
コスマン・ブラッドリー:信じがたい話だが、それは大衆が抱くに過ぎない感情であることはよく理解した。ヘヴィメタルの攻撃的な局面を反逆性へと変換させ、キリスト教に代表される宗教観との関連性を示唆したあなたの論理は、実に素晴らしい。かねがね私もヘヴィメタルと宗教との関係については疑問を抱いていた。それも教授が指摘された通り、キリスト教についてだ。デスメタル、ブラックメタル、過激性を極めるメタルには反キリストとしての凄絶な決意が垣間見れる。邪悪で不道徳と思われているこれらの分野には隠された領域があるということも、今後は議論に挙げていくべきだろう。教授が述べたことに上乗せする形になるが、邪悪なヘヴィメタルにはれっきとした文化的背景がある。北欧を拠点とするメタルバンドの大半は、明らかにキリスト教への反逆をペイガニズムと関連づけている。<古き世界>の信仰の復興は、やはり異教徒にとって大きなテーマなのだ。ノルウェー、デンマーク、スウェーデン、アイスランド島の国々は、元々はキリスト教徒ではなかった。暗黒時代の前のより古い時代から、北欧の人々は今にいう北欧神話の神々を崇めていた。彼らの生活は古き神々の教えに従って、自然の諸力に頼ったものだった。豊潤を神に感謝し、彼らは自由な意志で雄大な原野を駈けた。北欧の人々にとって、オーディン、トール、テュールらの神々は常に馴染み深いものだった。しかしやがて10世紀頃、圧倒的に新しい信仰が北欧の地に侵入してきた。人々は徐々にキリスト教へと改宗せざるを得なかった。何故なら、ノルゥエーの征服王ハラルドが全北欧を支配下に治め、キリスト教を受け入れたからだ。しかし北欧人の中には、表面はキリスト教徒を装ってはいても、本心は異教徒というものが大勢残っていた。1000年に完全にキリスト教化されたアイスランドなどは、殆どがその異教徒であった。それが何世紀も密かに受け継がれ、その遺志を継いだ異教徒の子孫が、やがては強力な力を秘めたヘヴィメタルと出会うことになるのだ。つまりは、真性ヴァイキングやブラックメタルは異教徒の伝統を今に伝えているのだ。賢明な者は真相に気付くだろう。私にはブラックメタルの過激性が、何世紀もの間抑圧されてきた異教の者達の憤怒の叫びに聞こえてならない。北欧人は、ヘヴィメタルという分野に出会い、遂に尊ぶ<古き世界>の表現の場を得たのだ。その表現の題材となるのは古代の民俗伝承であり、神話や叙事詩を題材としたエピックメタルの派生へと更に繋がっていった。詰まる所、物事とは全て関連性を持っているのだ。ヘヴィメタルは、追求すれば容易に文化的背景や民俗学の分野との共通点を見出すことが出来る。既に述べた宗教や人間の本質──これは恐らく人類学の分野に属する──にも同じことが言えるだろう。そしてさらに追求し続ければ、極めて価値のある回答が得られるはずだろう。恰も、H・P・ラヴクラフトやアーサー・マッケンが追求していた神秘学の魔術的領域から、現実を超越した知識を見出したように。私達が思っている以上に、ヘヴィメタルは多くの叡智と知識を含んでいる。こうした世界では、私達研究者ですら見落としている部分が、一階のメタルファンに見出されるということも少なくはない。メタルの神はつくづく平等なのだ。洗礼された見解と純粋な見解、この二つの視点から見つめた先に位置する領域にこそ、私達が求めている何か得体の知れないもの──それは同時に、常になじみ深いもの──がある。ここで先程の議論に戻ることになるが、私達は対極の位置にある二つの力の集約点から物事を見極めることの重要性を考慮しなければならない。教授は《善》と《悪》とおっしゃたが、この二つの概念も正反対の性質を起源としている。また、グノーシス主義に代表される二元論と言い換えることもできるだろう。とにかく正反対のこの二つの要素は、ヘヴィメタルにおいても重要な意味を持つことになるのだ。私達はこのことについて、更に議論を交えるべきだ。

>>To be continued in:Column the Column:Act Ⅱ


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 私はあまり日常を文章として書かない人間だ。平坦な日常が延々と繰り返されていく現実の社会においては、日々の一個人の生活などの散文はあまりにも退屈であると、私は思っている。日常の出来事を書きとめておかなければ、人間は本当に些細なことなど忘れてしまう生き物だ。そうして私も、今思い出してみれば、非常に多くの出来事を忘れてしまったようである。日常が退屈であるが故に、私はどうやら堕落してしまっていたらしい。小さな発見も、その瞬間の出来事に押しとどめてしまっていたのだ。映画を見て感銘を受けたり、小説を読んで知識を得たり、新しいメタルを発見して視野が広がったりと、些細な日常にはこれほどまでに多くの発掘が隠されているではないか。しかし、私がそう気付くのは、些細な発見の瞬間でさえ現実という無情な時の激流に流されて、消え果ててしまった後のことであるのだ。私達は平凡な平行線の経過の中で、気付きはしない貴重な時間を垂れ流しにしているのである。何故私がこのようなことを書いたのかというと、今述べたことが私自身に当てはまるからだ。そう、本当はヘヴィメタルの新たな発見の記事で、今回の内容は埋まるはずだったのだ……
 私は久しぶりに、ヘヴィメタルCDのレンタルを収集することを再開した。これを書く3週間以上も前のことだ……。私がツタヤで偶然見つけたCradle Of Filthは素晴らしかった。彼らはブラックメタルの重鎮であり、更に言えば、私が好む芸術的方向性を持つ知的なバンドだ。しかし何故ツタヤに入荷していたのだろうか!(冷静に考えれば、クレイドルはディム・ボガーに並ぶ世界的なブラックメタルバンドだからだ)私は彼らのCDを発見し、家に持ち帰り視聴して、久々に新鮮な興奮と狂気を感じ取ることができたのを覚えている。今では幾分かその感動もぼやけてしまってきているのが残念でならない。ああ、私はこのようなヘヴィメタルの発見を常に実感しているのだ。その未知のメタルの領域に足を踏み入れる期待感と興奮は、メタルファンでなければ分かるまい。その時の私は最高に興奮しているのだ。是非、メタルを発掘するという行為の素晴らしさと楽しさを理解してもらいたいものだ!他にも、最近の状況では、メガデスの「エンドゲーム」をレンタルした。彼らはもはや語るまでもない、"インテレクチュアル"スラッシュメタルバンドだ。私は幸運にも、「ユナイテッド・アボミネイションズ」もレンタルで音源を入手することに成功している。私としては、ヘヴィメタルのレンタルにさらに力を入れる店舗が登場すると多くのメタルファンやそれ以外のリスナーにアピールできるのではないか、と考えている。レンタルとは非常に便利なものだ。なぜなら、内容に対するリスクをほぼ無視して視聴することが出来るからだ。金欠な学生などには大いに助かるはずである。だが一方で、残念なこともある。メガデスをレンタルする際、私は使いを出したのだが、その者の話によると、メガデスの「エンドゲーム」を探すのにおよそ5回も通路を往復した──もちろん、事前調査でメガデスの「エンドゲーム」が入荷しているということは把握していた上でである──ということである。これに対し、私はヘヴィメタルの一般認知の低さとを痛感するとともに、明らかに勉強不足な店員の知識の乏しさにも憤りを感じた。今回のことは非常に貴重な言及であった。ヘヴィメタルに関する出来事は、常に重大なことを考えさせられるからだ。


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Suden Uni

MOONSORROW the 1st album in 2001 Release
★★★★★★★★☆☆...(好盤)

フィンランドのシンフォニックヴァイキング、ムーンソロウの2001年発表の1stアルバム。

本作は、後にエピック・ヴァイキングメタルの最重要バンドとして認知されるに至るムーンソロウの記念すべきデビュー作であり、2003年にリマスター再販もされた好盤である。この再販の際に、ビデオクリップとライヴ映像を収録したDVDが付属され、アルバム・ジャケットも新たな作品となった。北欧の先住民族を想起させるカヴァー・アートワークには、彼らの音楽的起源が隠れているようにも思える。DVDに関して特筆すべきは、名曲「Jumalten Kaupunki」のビデオクリップであり、メンバーが鎖帷子を着て演奏する姿などの貴重な光景が見られる。
内容に入るが、まず本編の完成度は申し分ない。アンダークラウンドで、更にヴァイキング系の1stともなると音質や楽曲の構成力が危ぶまれることは多々あるのだが、彼らの場合は何なく基本水準──マニアの許容範囲のことである──をクリアしている。ゆったりとした、伝統的なヴァイキングリズムに民族的な美旋律が加わるという彼らの典型的なスタイルは、本作から既に楽曲の表面に表れていたようだ。バンドの中核を成すHenri Sorvali(key、g)──彼は同郷のフィントロールでもトロールホーンとして活躍している──の生み出す民謡メロディは、エピカルなファンの期待に十分答えている。楽曲の構成も、映画を意識したSE、強弱の付け方などを心得ており、幾分かB級シネマスティックな雰囲気も漂っている。証拠として、大作#6は只ならぬ臨場感を醸している。勇壮な分野での特筆点には、ヒロイックなクリーンヴォイスが挙げられ、彼らのトレードマークともいえる戦士的な高揚感を誘引していく。クワイアに関しては練り方が甘いといわざるを得ないが、やはりメロディに関しては胸を打つフォークロアなものがある。
ムーンソロウは2ndや3rdがあまりにも優れたエピック・ヴァイキング作品であるために、この1stには日のあたる部分が少ないが、何かのきっかけで本作を聴くことがあれば、きっと隠れた佳作であると思わずにはいられないはずである。コンパクトにまとまった楽曲は、大作揃いの後の作品とは一線を画しており、違ったムーンソロウの印象を受けることは必至である。また、この文章が、その発見のきっかけへの橋渡しとなれば、私としても幸いである。


1. Ukkosenjumalan Poika
2. Köyliönjärven Jäällä (Pakanavedet II)
3. Kuin Ikuinen
4. Tuulen Koti, Aaltojen Koti
5. Pakanajuhla
冒頭から浮世離れした民謡メロディが炸裂。その後ザクザクしたリフと共にメロディが転調、異郷臭さを撒き散らす。表情豊かなアコーディオンの音色に酔いしれるしか私達には出来ないほど、強烈無比なエピック・ヴァイキング曲だ。中世の泥臭さが泥声に表現されているのも良い。
6. 1065: Aika
7. Suden Uni



Review by Cosman Bradley
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 少し昔のことを思い出していた。私は昔をよく回想する人間らしい。それには図らずも、私が好古趣味や有史以前の魅力に取り付かれているせいもある。2年ほど前のことだが、私は長時間ヘヴィメタルを聴くことが出来なかった。その主な理由としては、耳の違和感と、激しい頭痛であった。当時の私には、長い間メタルを大音量で聴き続けてきた代償が降りかかってきていた。どうやら私の体は金属音楽に適してなかったらしいのだ。それ故に、昔は二日に一度アルバムを一枚聴くことが限界だった。今考えて見ればおかしな話だ。私が虚弱な人間だったにせよ、メタルが人体に及ぼす直接的な影響は無害であるにも拘らず、むしろ精神面に影響を与えるということを、私は知らなかったのだ。メタルによって形成された人格──何かに感化されて生み出される感情の集合体──は、私にとって貴重なものであった。無論これは現在進行形の事実である。ヘヴィメタルは時に一つの生き様として捉えられるが、私は実体験によって、その生き様が形作られ人々に伝わっていくのを見たのである。長くメタルを信仰していれば、その分の見返りは常に得られている。またその長寿──またの名をメタル歴とも──こそ、人体をヘヴィメタルに適した構造に作り替えていくものである。人間の適応能力の高さをここで挙げておくのが正しいだろう。極寒の地で自然と人間の体が暖を取ろうとする働きと同じく、メタルにも適応していくことは可能なのである。人体の神秘は──宇宙的な神秘には勝らぬにせよ──、時に驚くべきものだ。結果として、昔ヘヴィメタルの音圧に屈していた私だったが、いつからか、自然にヘヴィメタルが違和感なく聴けるようになっていたのである。これはプロパガンダ等の思想的な面での影響によるものではなく、肉体的な対応の結果である。私の思想はずっと昔──私がまだ14歳だったころ──からヘヴィメタルに忠義を良くしていたし、ただ単純に、外の領域──思考とは外の部分──での不一致が生じていたにすぎない。しかし今となってみては、いくらでもヘヴィメタルが聴けるうえ、素晴らしいと思えるメタルに次々と出会うものだから、退屈な日常という無の産物も、少しは楽しめている。

ヘヴィメタルに感謝をこめて
C.B


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