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夕陽のギャングたち 完全版 [DVD]

監督:セルジオ・レオーネ 公開:1971年、イタリア


「(お前が死んだら俺は)どうしろってんだ」
フアン


 アメリカ西部の雄大な土地で生まれ、男たちの血と汗で育まれていった西部劇は、徐々にその舞台をテキサスやカリフォルニアからメキシコ国境へと移していった。古くからアメリカとメキシコは重要な繋がりで結ばれており、この変化は当然のことのように思えた。かつてハリウッド製の西部劇は娯楽性に満ちた痛快な大活劇であったが、セルジオ・レオーネ監督の登場によりその概念は覆された。

 明確な勧善懲悪の定義はない。主人公のフアン(ロッド・スタイガー)は下劣な山賊であるし、その相棒となるジョン(ジェームズ・コバーン)ですらアイルランドとアメリカ両国の指名手配犯だ。本作では、この二人の人物の奇妙な出会いがメキシコ革命という混乱の渦中に翻弄されながらも芽生えた友情を通して、迫真のカタルシスを伴いながら時に叙事詩的に描かれていく。
 
 冒頭はフアンが蟻に放尿するという衝撃的なシーンから始まる。最初のジョンとのやり取りもユーモラスなものに過ぎない。フアンは山のような黄金があるというメサ・ベルデの銀行を襲うべく、爆発物の使い手であるジョンを仲間に加えようとする。フアンは「ジョンとフアンがいれば最強だ」と言い張って引き下がらない。しかし、メサ・ベルデの銀行に残されていたのは金ではなく、捉えられたメキシコの愛国者たちであったことから話は劇的に変わる。ここから物語は一変し、フアンは革命の英雄として祭り上げられ、否応なしに戦争へと巻きこまれていく。革命家でもあるジョンはメキシコのために戦うが、フアンは納得できない。「メキシコはお前の国なんだぞ」というジョンに対し、フアンは「俺の国は家族だけだ」と言い放つ。しかし迫りくる軍隊を前に二人で戦い橋を爆破するシーンでは、とうとうフアンも折れジョンに協力する。二人の間には友情が芽生え始めるが、現実は常に非情なものである。敵によって家族を皆殺しにされたフアンは、一人で敵地に乗り込んでいく。やがて捉えられたフアンを救ったのはジョンであり、二人は束の間の再会を果たす。列車の中で二人はアメリカへの夢を語り合う。恐らく新天地では良い暮らしが待っている。列車もアメリカ行きのはずであった。しかし革命の火の輪によってまたしても戦いに巻き込まれた二人が隠れる車両の中に、偶然にもメキシコの独裁者ウエルタ将軍が逃げ込んでくる。ジョンはフアンへと拳銃を渡す。ウエルタ将軍を見た瞬間にフアンは思い出す。メキシコ政府とドイツ軍に殺された家族の顔が脳裏を横切る。ウエルタ将軍は金の入った袋をフアンに手渡して一命を取りとめようとするが、フアンはウエルタ将軍に発砲する。

 果たしてフアンが手にしたかったものとは金だったのであろうか。数々の作品で金のために命を落とした人物を描いてきたセルジオ・レオーネ監督がこのシーンを導入した真意にこそ、人間の本質が隠されているように思えてならない描写である。最初フアンは金を手にするためにジョンを仲間にした。その金で家族と裕福な暮らしが送れると信じていた。しかしメキシコ革命の渦中でフアンの置かれる状況は大きく変わった。英雄として祭り上げられ、その代償として家族を失った。道具として利用するはずであったジョンに友情を覚えた。フアンを人間そのものに置き換えてみることも可能であろう。これは叙事詩でもあり、人間の葛藤でもある。そして巨大な社会に抗うことのできない人間の現実だ。最後のシーンにおける美しいジョンの故郷の回想と燃え盛る列車との凄絶な対比は、言い逃れようのない感情を我々に生み残す。ジョンに向かってフアンは叫ぶ──「どうしろってんだ」。果たしてその言葉は、ジョンだけに向けられた言葉だったのであろうか。最後にはタイトルである"Duck, You Sucker(関わるな)"という文字が大きくフアンの下に浮かび上がりエンド・クレジットが流れる。


Review by Cosman Bradley

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ウエスタン スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]

監督:セルジオ・レオーネ 公開:1968年、イタリア・アメリカ


 いかなる分野においてもその頂点を極めた作品はある。エピックメタルの頂点に位置するのがヴァージンスティールであるように、西部劇の頂点に位置するのが『ウエスタン』(原題:once upon a time in the west)であると多くの者は語っている。

 アメリカの西部劇とは一線を画した「マカロニウエスタン」という斬新な──しかし多くの者にとってはアメリカの真実を描いている──ジャンルの中で、その歴史を紡ぎ続けてきた巨匠セルジオ・レオーネが撮影した西部劇の集大成が本作であった。1968年に公開された『ウエスタン』は、伝統的な西部劇の手法に加え、過ぎ去ろうとするアメリカ西部の歴史の一部分を叙事詩的に描いたスペクタクル大作として、半永久的に語り継がれる西部劇の最高傑作となった。
 この感動的な作品は、生涯における人間のドラマと真実を追求し続けてきたセルジオ・レオーネ監督が、西部劇に対して出した答えであると多くの者は受け取っている。言葉など必要ない映画の真実がここにはあり、私たち観客は、時代という巨大な濁流に呑まれるだけの傍観者でしかないことを思い知らされる。若い者たちが知らない昔に、『ウエスタン』は西部劇という縛られた分野の先にある何かに手を伸ばしていたのである。

 およそ三時間という現代の娯楽作品では想像もつかない長大な本編の中で、わずかに触れられる重要な部分がある。それは西部劇における名優チャールズ・ブロンソン演じるハーモニカ──彼の名前は劇中でも終ぞ語らることがない──が、ヘンリー・フォンダ演じる悪役フランクに投げかける気付きもしないような言葉である。驚くべきことに、この映画では台詞が殆どない。三時間の中で使用した台本はたったの15ページ。歴史的かつ重厚で叙事詩的な儚い雰囲気のみが全体に古い時代の風を送っている。故に登場人物の語る言葉は変化する時代の描写を繊細にとらえたものだ。ハーモニカはフランクにこう語る「お前は古い男だ。モートンのような新しい男に消される」彼のこの言葉は、本作に隠されたもう一つの只漠然としたテーマを僅かに告げているように思えてならない。物語では、やがてスイートウォーターに鉄道が通り、アメリカ西部がより住みやすい場所へと変化する様が描かれている。しかし、果たしてこの"鉄道"とは、西部に古くから馴染んできた男たちにとって何を告げていたのであろうか。答えはハーモニカの語った言葉にあるかも知れない。ここでエピックメタルを通じて叙事詩を学んだ私たちにとって、あらゆる歴史の中に存在してきた文化の盛衰を一瞬垣間見てきた私たちにとって、今も『ウエスタン』あの言葉は絃琴のように鳴り響いている。それは即ち、古い時代と新しい時代の隙間にある葛藤に他ならないのであろう。


Review by Cosman Bradley

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