Epic Metal; Review Fan Site.
© 2010-2017




Introduction

Robert_E_Howard

「エピック・メタルとは、叙事詩的なヘヴィメタルの総称であり、主に大仰かつ劇的でヒロイックな音楽性を示す言葉である」 [More stats] 

 ──Cosman Bradley


◆新着情報 News Topics
[Reviews]
VALKYRIE 「Deeds of Prowess」
WRATHBLADE 「Into the Netherworld's Realm」
VIRGIN STEELE 「Nocturnes of Hellfire & Damnation」
[Release]
Jack Starr’s Burning Starr 「Stand Your Ground」
Cirith Ungol 「King Of The Dead」
Manilla Road 「To Kill a King」

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Louder Than Hell

本日の教科書:MANOWAR 「Louder Than Hell」(1996) "Today Is A Good Day To Die"
学ぶ歴史:クレイジー・ホース


Today Is A Good Day To Die(今日は死ぬのにいい日だ)
 インディアンの孤高の戦士、クレイジー・ホースはそう言い残した。オグララ・ラコタ族のパヤブヤ族の戦士であり、偉大な英雄でもあったクレイジー・ホースは、1887年に銃剣で刺殺されるその時まで、己の民族のために合衆国と戦い続けたのである。

 マノウォーの同名の"Today Is A Good Day To Die"。この雄々しくも美しいインストゥルメンタル曲は、クレイジー・ホースの勇士に賛辞の意味を込めて捧げられている。アメリカには原住民と移民、二つの文化がある。


▼続きを読む
スポンサーサイト
このコラムで紹介した歴史を加筆・修正し、下記にサイトEPIC WARととしてまとめた。

この企画は前から私がやりたかったもので、本コラムではメタルとの関係性を交えての歴史紹介だったが、「EPIC WAR」では全くの歴史物語として読むことが出来るように編集した。なのでメタルとしての中世歴史ではなく、本来の歴史を記述してあるので注意していただきたい。つまりは純粋な中世史が楽しめるということである……


ではこの入口より
EPIC WARへ
▼続きを読む
Northern Rage

本日の教科書:STORMWARRIOR 「Northern Rage」(2004) "Lindisfarne"
学ぶ歴史:リンディスファーン襲撃

ストームウォリアーのヴァイキング的な世界観は特筆に値する。サウンドは非常にジャーマニックなのだが、歌詞世界に北欧神話やヴァイキングの伝承を題材としている。彼らは本作2ndで、ヴァイキングの行為が歴史的に初めて表舞台に進出することになったリンディスファーン襲撃を描いている。蛮勇なサウンド諸共、そのヴァイキング行為の凄まじさ、衝撃が伝わってくる。ヴァイキングの歴史はこの793年の歴史的な事件によって始まり、1066年のヘイスティングスの戦いで幕を閉じるというのが一般的な定説である。では、戦いの神オーディンに導かれた彼らの旅路を辿ってみるとしよう。


エレミヤの信託:
主は我に告げられた。"北より災いが起こり、この地に住まうもの全ての上に臨むであろう"と。


8世紀の後半、ノーサンブリアのリンディスファーンは比類なきキリスト教徒の聖地だった。
リンディスファーンは北部イングランドにおけるキリスト教化が始まった記念すべき地であり、リンディスファーンのケルト教会修道院にかつて住まっていたという聖人アダイン、聖カスバードの驚異的な遺品と遺骨が収められていた。この二人の偉大なキリスト教徒は、7世紀にこの教会に住み、貞淑な生涯を送りキリストの辛抱者に崇められていたのだった。しかし紀元793年、このノーサンブリアの地にて恐るべき前兆が巻き起こり、神聖なる聖職者らの聖地を天変地異の如く揺るがした。アングロ・サクソンの伝説的な年代記にはこの災いの光景を、空を駆け抜ける広大なる光の帯、暴風の如き旋風、更には天空を超えて飛び灼熱の炎を吐く竜の姿として表した。すぐさまこれらの畏怖すべき出来事に続き、肥沃だった聖地ノーサンブリアには異例の大凶作が訪れ、キリスト教の修道士らを恐怖の深淵へと叩き落とした。そしてキリスト教徒達の世界では窮極的に信じ得ない冒涜的な出来事が、この年の6月8日にリンディスファーンを襲ったのであった。恐るべき異教徒達はキリスト教の神の住まう聖地リンディスファーンに猛然と襲い掛かり、鬼神の如き剣撃の乱舞で神に仕える聖職者達の純白の法衣を血祭りにあげたのだった。



の異教徒は荒れ狂う海より来った。
三隻の船に乗った北の男達の共同体の戦士が、イングランド人を始めて襲ったのは787年のことだった。この記録はヴァイキングの時代の先史として、アングロ・サクソン年代記に刻まれた。そして793年、北の男達の共同体は北イングランド、ノーサンブリアのリンディスファーンへの襲撃を決行した。竜頭を持つ船体に赤と白の帆を掲げ、ヴァイキングの男達は住み慣れた故郷を去り海を越えた。彼らは戦士達の故郷、古代スカンディナビアの根本的な民族伝承である北欧神話から得た教訓を胸に抱き旅立ったのだった。キリスト教徒から異教だと見なされたこの偉大なる神話は、戦いに明け暮れる神々と英雄らの叙事詩を綴ったもので、遥か昔から北欧人の精神に根付いていた。北の男達の共同体の戦士達にとって最強の神であり、全ての神の頂点に立つ最高神オーディンは彼らの願いを聞き入れたのか如く航海を助け、彼らが偉大なる栄光を得るべき土地を定められた……その名はリンディスファーン。幾多の窮地を潜り抜け、遂にノーサンブリアの孤島、リンディスファーンの地にやってきたヴァイキングの戦士らを出迎えたのは、なんとも脆弱な僧服に身を包んだ修道士たちだった。島の修道士たちはキリストの神の教え"法"に従い、ヴァイキング達から税を取り上げるために海岸へ出向いたのだった。しかしその考えは間違っていた。北の男達は美しく装飾された鋼鉄の長剣を抜き放つと、聖人らを皆殺しにした。まず彼らは海岸を襲い、瞬く間に切り落とされた残骸が周囲に転がった。神に祈ることしかできなかった修道士たちの前に振りおろされた冷たき鋼鉄の剣の一撃は、深くその身に食い込んだ。リンディスファーンの修道士達が信じたキリスト教の神は、ヴァイキングの齎した凄絶なる"恐怖"という現実には、何の力も持たなかったのである。そして神をも恐れぬ北の男達は、恐怖を恐れぬことが勝利者への確実なる条件だというのなら、彼らはまさに最大の勝利者だった。海岸を荒らし回った彼らは、遂には修道士らの聖なる教会にも襲いかかった。リンディスファーンの教会には、何世代にも渡って聖人らが収めてきた莫大な黄金、銀、宝石等で溢れ返っていた。修道院を徹底的に蹂躙し、祭壇を破壊した北の男達は戦利品として、その強大な富を手にした。戦いの神オーディンに定められた通り、この地に来ったヴァイキングの戦士達は莫大な遺品を舟で持ち帰ったのである。遂に災いはこの聖地に訪れ、島の司祭らは反撃する術もなかった。修道士らが身を守るために掲げた聖カスバードの十字架は、ヴァイキングの戦士らにとってはただ意味のない石の塊に過ぎなかった。彼らは何故武器を持たなかったのか。答えは実に簡単なものだった。神を恐れる精神を持つリンディスファーンの修道士達は、このキリスト教の比類なき聖地を襲撃するなど想像もできなかったため、かの地には剣で武装した人間など一人もいなかったのだ。この北の嵐の後、リンディスファーンの修道士達は残された聖カスバートの遺物を持って、島を逃れ北イングランドを当てもなく彷徨ったという。



エピローグ...

かくして北の嵐、そして北の竜は猛威をふるい、予言は果たされた。635年に創設されたこの聖地リンディスファーンの教会にかつてこのような災厄が訪れたことはなかった。教会は300年以上をも平和を保っていた。793年6月8日のリンディスファーン襲撃はキリスト教徒の世界に想像もつかない暗い絶望を投げかけ、影が支配者となった。このキリスト教徒の世界にとって最大の冒涜行為を行った者達はデーン・ヴァイキング、北の男達の共同体の一部だった。リンディスファーンを発端として、後300年、北の嵐が収まることはなかった。彼らは生まれた時オーディンに、何物も恐れず屈しない意思と敵を殺す力とを授かっていたのだ。
▼続きを読む
Tunes of War

本日の教科書:GRAVE DIGGER 「TUNES OF WAR」(1996) "William Wallace (Braveheart)"
学ぶ歴史:ウィリアム・ウォレス

グレイブディガーの中世三部作の第一作目に当たるこのアルバムは、大変興味深い内容を持っている。実際にはスコットランドの歴史が綴られているのだが、どれも悲劇的で壮絶なものばかりだ。今回はそのスコットランド史から、私が特に魅かれている英雄ウィリアム・ウォレスの物語を語っていこう。 ウォレスに代表されるように、英雄には愛国者が多い。スペインのエル・シドもそうである。彼らには常に考えさせられる。こういった歴史へのきっかけがメタルからというのも、新鮮ではないだろうか。


スコットランドの民のために杯を掲げよ:


ィリアム・ウォレスは1297年、スターリング・ブリッジの戦いで英国軍に歴史的な勝利を収めた。
スコットランドの総督であるアンドリュー・マリーに協力するという形での戦闘だったが、彼の名と勇敢な戦いぶりはスコットランド国中に鬨の声の如く木霊した。ウィリアム・ウォレスは平民出身の戦士で、スコットランドの愛国者だった。このウィリアム・ウォレスの英国への反逆は、今まで残虐非道な英国王エドワード1世(通称"長脛のエドワード")の横暴に耐え忍んできたスコットランドの民に勇気を与え、やがて独立への戦いへと駆り立てた。死か栄光か。彼らは母国と、そして長年英国に剥奪されていた自由を取り戻すため、スコットランドの民族が先祖より好んだ長剣と円盾タージェを手に取り戦った。スコットランドの戦士に古くから伝わる勇猛果敢なハイランド人の血が、甲冑で身を固めた強大なる英国兵に立ち向かう"勇敢なる心(ブレイブハート)"を戦場で彼らに分かち与えた。誇り高きスコットランドの戦士達は、スコットランドの独立という一つの理念の下に団結し、英国に立ち向かったのだった。ウォレスが始めた戦いは熾烈を極めたが、神はこの心底真っ直ぐな愛国者に微笑んでいた。最も、それは始めの内だけであったが…。


ターリングでの大勝利に続き、スコットランド軍は英国軍に対して劇的な勝利を重ねた。
ノーサンバランド、次いでカンバランドがウォレスの率いるスコットランド軍の餌食となった。同年の1297年の内に、スコットランド軍は英国に占領された領地の大半を奪い返した。この蛮勇な行為は無論、ウォレスによるところが大きかった。ウィリアム・ウォレスは、スコットランドに伝わる伝説的な戦士ハイランダーを象徴するような驚異的な功績で、次のスコットランド王と名高いロバート・ザ・ブルースから騎士と「スコットランドの守護者」の称号を受け取った。



ォレスという男については様々なことが伝えられている。
しかし果たしてそれが事実なのか嘘なのか、誰も答えを知る者はいない。彼は本当は貴族の出身だとか、殺された恋人の復讐のために戦いを始めたとか言われているが、真相は闇に葬り去られた。なぜなら、「歴史とは常に英雄を葬った側から書かれる」からだ。そう、スコットランドの勝利も長くは続かなかった。


ォルカークの戦いは、1298年に勃発した。
この戦いでウィリアム・ウォレスは英国軍に大敗を喫する。賢い長脛のエドワードはウォレスの必勝法であるシルトロンに対し、ロングボウ大隊の凄まじい一斉射撃によって、殆ど損害を被ることなくこれを打ち破ったのだった。英国王エドワード1世は、残虐だが優れた王であることに変わりはなかった。この大敗をきっかけにしてイングランドは再び勢力を盛り返し、スコットランド軍は徐々に力を失っていった。だがウォレスは諦めなかった。その後もウォレスは独自にゲリラ戦を展開し、母国の独立のために戦い続けた。彼の真鍮作りの簡素な長剣が、一体何百人の英国兵の血をすすったことであろうか。しかし1305年、遂に彼も神に見放された。愛するスコットランドの本の一握りの邪悪な貴族らによって裏切られたウォレスは、グラスゴーで英国兵に反逆者として捕らえられ、8月23日のロンドンにて処刑された。そのやり方は"四つ裂き"という、極めて残虐な方法であった。彼の分断された四肢の内、頭はロンドン橋の上に晒された。ウォレスの死刑は、スコットランドの民のすべてに、見せしめとして行われたのだ。



ィリアム・ウォレスは死んだ。
英国には反逆者、スコットランドには英雄として。しかし物語はここで終わりではない。ウォレスは肉体としては死んだが、彼の自由を求める精神は残されたスコットランドの民に受け継がれた。スコットランドでは誰もが彼の行為のすべてを讃え、また涙した。ウィリアム・ウォレス、彼は本当の人生を送った数少ない人間の一人だった。英国軍は彼から命を奪うことはできたが、彼の自由を奪うことはできなかったのである。ウォレスが常に掲げた"スコットランドの独立"、それは必ず成し遂げなければならないものであった。そのウォレスの崇高な精神は、人脈が集まりつつあった後の王、ロバート・ザ・ブルースにも受け継がれた。ロバート・ザ・ブルースは一時は英国側についたりと、母国スコットランドに対して不鮮明な部分があったが、もはやスコットランドのためにしっかりと信念をもたなくてはならなかった。ブルースは1306年、ロバート1世として王位を宣言したが、失敗し北アイルランド沖のラスリン島に逃れた。その時洞窟で、「蜘蛛が巣を破られても、何度も張りなおす」のを見て、再起を決心したのだった。その決心とはスコットランドの民を王としてまとめ、英国に対して独立のための最後の戦いを行うことであった。そしてスコットランドにとって絶好お機会が舞い込む。1307年、スコットランドを苦しめた英国王エドワード1世が病死。後に王座に就いエドワード2世が、戦術と知略に富んだ前王よりも劣っていたのは誰の目にも明らかだった。スコットランドはブルースの下に再び団結し始め、独立に大きく踏み出すこととなった。ブルースはウォレスの展開したゲリラ戦を受け継ぎ、時間をかけて確実に弱体化した英国の拠点を押さえていった。遂に1310年には、ロバート・ザ・ブルースが正式なスコットランドの王として、全スコットランドの民に認められるに至ったのである。



して1314年、物語は終わりを迎える。
ブルース率いるスコットランド軍はバノックバーンにて、約3倍もの数の英国軍に対峙していた。この時、英国王エドワード2世はスコットランドを更に侵略するべくスコットランドに猛攻を仕掛けてきた。英国軍の騎士らは上手く統制がとれていなかったが、しかしおよそ25000人の大軍は集結したスコットランド7000人の勇士達にとっては圧倒的だった。しかしスコットランドの戦士達は死など恐れてはいなかった。母国の独立のためなら、死など彼らにとっては安かった。バノックバーンの原野に立つ彼らの雄姿は、本当の意味での愛国者だった。そう、かつてのウォレスもそうだったのだ。このスコットランドの人達の英雄的な行為、思いは比類なき戦士としての勇猛果敢さを生み、数でははるかに上回る英国軍を相手に善戦した。そして遂に、長き戦いの末、スコットランドは6月24日ここバノックバーンにて、英国軍に勝利したのであった。



エピローグ...

「我々は富のためでもない、栄光のためでもない、自由のために戦っているのだ」
スコットランド王、ロバート・ザ・ブルースはこう言い残した。この言葉にはウォレスの精神が息づいているのが分かる。英雄ウィリアム・ウォレスが1297年に始めたスコットランド独立戦争は、1314年のロバート・ザ・ブルースのバノックバーンでの勝利で幕を閉じる。1314年、スコットランドは遂に自由を手にしたのである。
▼続きを読む
Hastings 1066
本日の教科書:THY MAJESTIE 「Hastings 1066」(2002) All Concept
学ぶ歴史:「ヘイスティングスの戦い」

イタリアのザイ・マジェスティの2ndアルバム、「Hastings 1066」はエピックメタルの歴史的名盤だろう。
この奇跡的な完成度を持つアルバムは、中世イングランドで実際に起こった歴史における伝説「ヘイスティングスの戦い」を描いた一大叙事詩である。このアルバムに習い、「ヘイスティングスの戦い」を紐解いてみよう。


これは中世の剣と楯の時代の物語である:


説的な「ヘイスティングスの戦い」は、中英雄時代の本格的な幕開けであった。1066年イングランドのヘイスティングスのバトルの丘での戦いは叙事詩的に残されている。デンマークの強大なる大王クヌートの死後、イングランドでは強力な諸侯らが群雄割拠し混沌としていた。そんな中、ゴッドウィンの息子ハロルドが諸侯らに擁立されて王位に就きハロルド2世となった。かくして、物語は幕開ける。フランス北部のノルマンディーでは、より古い暗黒の時代に北欧からやってきたヴァイキングの末裔らが強大な国家を打ち立てて久しかった。この地でヴァイキングの末裔らは勇猛果敢な武勇譚と鋭い鋼鉄の刃を未だ有していた。これら北欧の先祖より受け継いだ国家を一層強大とした者がいた。かの者は勇士ギヨームといった。ギヨームは豪胆なるヴァイキングの王ロロの末裔であった。エドワードからイギリス王位の継承を約束された、とギヨームは言い放った。戦いの信託が訪れ、ギヨームは兵を集い始めた。やがてギヨームのもとには、勇猛果敢なノルマン騎士らおよそ6000人が集まった。皆、英国の歴史に新たな風を吹き込むという偉業に賛同し、北欧の戦士特有の気高い勇気を奮い立たせていたのであった。来るべき1066年、ギヨームの率いる大軍はイングランド南部のヘイスティングスに上陸した。かつてヴァイキングの勇士らが諸王国をロングシップで襲撃したように、軍隊の戦船はバルト海の荒波の如く湾に押し寄せた。重厚な甲冑とカイトの盾で武装した荘厳な軍隊の闊歩する喧騒が、戦いの原野を突き抜けバトルの丘にまで轟いた。対立するイングランド王ハロルド2世は、およそ7000人もの強力な勇士らを率いてギヨームとその軍勢を迎え撃つこととなった。ハロルドは既に直前の戦いで、イングランドに侵攻したノルウェー王ハーラル3世をスタンフォード・ブリッジの戦いで破っていた。かの王は自らの即位に反旗を翻し、ハーラルに味方した弟トスティ・ゴドウィンソン諸共惨殺したのであった。かくも勝利を収めたハロルドの軍勢はバトルの丘に続き、これを察し同じくバトルの丘に集結したギヨームの軍勢と遂に直面した。かくして中世史に残る、伝説的ともいえる戦いが起こることとなったのである...

高いバイユーのタペストリーには、この伝説の結末が描かれた。絵には、目を矢で貫かれるハロルド2世が描かれた。この戦いでハロルド2世は死に、ギヨームの軍勢は勝利を収めた。そして、新しいイングランドの王が誕生した。歴史的に初めて、ノルマン人がイングランド王に即位した。これはあまりにも偉大なことであった。北の凍てつくフィヨルドの中で生まれ育ち、戦いに明け暮れたヴァイキングの末裔が、終ぞ一国の王となった伝説──これらは事実として記される。以後、ギヨームは新たにウィリアム一世と名乗り、正式に王冠を授かった。ここに、ノルマン人の時代、ノルマン朝が始まったのである。それは遂に、300年に渡り続いてきたヴァイキングの時代が終わりを告げ、中世の勇士らが活躍し、幾多の叙事詩を残すこととなる、中世英雄時代の真の始まりでもあった。最後に、この英雄伝説はノルマン人による征服「ノルマンコンクエスト」として、永遠に中世の史実の中で語り継がれることとなったのである。


*  *  *


この戦いを実際に見た者はもはやいないが、あまりにもすさまじい剣と楯の戦いだったのだろう。アルバムからもその激しさ、荘厳さ、勇ましさがまじまじと伝わってくる(そして実際に中世の戦場に入るような錯覚さえ覚える)。
私はメタルを通して、偉大な物語や歴史、または神話の世界を垣間見るというのは、実に意味のあることだと思える。伝説や神話を今に伝えるエピックメタル作品はこれだけではない。次回の授業も、恐らく私の好きな中世の歴史になるだろう。それまでしっかりと予習してくるように(笑)。


▼続きを読む
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。