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Introduction

Robert_E_Howard

「エピック・メタルとは、叙事詩的なヘヴィメタルの総称であり、主に大仰かつ劇的でヒロイックな音楽性を示す言葉である」 [More stats] 

 ──Cosman Bradley


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Cirith Ungol 「King Of The Dead」
Manilla Road 「To Kill a King」

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RETURN TO VIKING...

 勇猛果敢で哀愁に満ちたサウンドで私達メタルファンのヒロイズムを鼓舞し続けるヴァイキングメタル。かつて、遥か北欧で生まれたというこのメタルには、様々な伝説が残っている。それは恰も彼らの故郷に叙事詩として伝わる、北欧のサガのようなものだ...


Hammerheart
 では、ヴァイキングメタルはいつ頃確立したのだろうか?これには様々な説がある。一部にはドイツのジャーマンメタルゴッド、RUNNING WILD(ランニングワイルド。1984年1st発表~現在まで活動を続ける。しかし、2009年に惜しまれつつも解散)だという向きもあるが、それは定かではない。ランニングワイルドは同国のホープBLIND GUARDIAN(ブラインド・ガーディアン。88年~現在まで活動)よりも早く、ヒロイックなケルトメロディをギターの旋律に用いていたことで知られる(もちろんこれはシン・リジィから来たものであり……)。
 このケルトメロディこそが、ヴァイキングメタルを形作る上で重要であった。なぜならケルト音階は、戦士特有の勇壮で哀愁溢れる美しさに満ちていたからだ。しかし、ケルティックな旋律がヴァイキングらしさを醸すのには、文化的な背景も考えられる。ケルト族は蛮族の勇者として数々の神話を残している上、中世のヴァイキング達は彼らの文様を斧のヘッドや剣の柄に用いていたという繋がりもある。このジャンルの場合、いやヘヴィメタルという特異な音楽には、文化的背景が必ず含まれているのだ。
 しかし、ヴァイキングメタルの一般的な始祖は、Bathory(バソリー)の「Hammerheart(ハンマーハート)」(1990)だと言われている。ヴァイキングの発祥地であるノルウェーより登場したバソリーはブラックメタルの重鎮であるが、この5th「Hammerheart」から北欧の壮大な世界観を描くようになった。それは歌詞にも表れており、タイトルからも分かる通り《北欧神話》について歌っていたのだ。これはヴァイキングメタルにおいて非常に重要な要素と言える。勇ましいサウンド、そして鋼のメタルに見合う歌詞は、神々や英雄たちの武勇を讃えるもの以外に相応しいものはない。これはエピックメタルにも共通する要素である。私は、ヒロイックな要素はメタルにのみ可能なのだと思えてならない。ヴァイキングメタルは最もヒロイックなメタルのスタイルであり、またメタルらしいのだ。このジャンルは、大きくエピックメタルと重なる部分があるが、それは当然と言えるだろう。何故なら、ヴァイキングメタル、エピックメタル双方はヒロイックなのだから……。


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ヘヴィメタルには様々な開拓者がいる。今日ここに紹介する「スラッシュメタル四天王」、アンスラックスも独自のアイデンティティを貫き、メタルを開拓していったバンドの一つである…… 

アンスラックスは1982年、ニューヨークにて結成される。この時のメンバーは高校卒業という非常に若い世代であった。スコット・イアン(g)チャーリー・ベナンテ(dr)ダン・スピッツ(g)ニール・タービン(vo)ダン・リルカ(b)によって1stアルバム「Fistful of Metal」が1984年に発表される。スラッシュ四天王を印象付けるスピーディかつ過激な作風はすぐさまファンに受け入れられた。その後大規模なメンバーチェンジがあり、後のアンスラックスの個性を決定づけるヴォーカリスト、ジョーイ・ベラドナを迎え入れ1985年「Spreading the Disease」を発表"狂気のスラッシュ感染"と邦訳されたこのアルバムは日本でも感染者が続出したスラッシュの傑作中の傑作であり、名曲「A.I.R」で幕を開ける。この名曲の中間部のパートでは、アンスラックスのライブで広まったという"モッシュ"(曲のリズムに合わせ体をぶつけること)を誘発したという逸話があるほどだ。また、前作にもあった彼らが持つアメリカン・ストリート的な音楽の独特の雰囲気も醸し出した作品でもあった。1987年には3rd「Among the Living」を発表。ハードコアの激烈さが前面に出され、さらにはファンクやインディアンのビートを取り入れるなどの試みも本格的になり、スラッシュ史に残るといっても過言ではない名盤となった。彼らは後のミクスチャー・ロックにも多大な影響を与えたとされる。インディアンの血を引くジョーイ・ベラドナが生んだ名曲「Indian」を始め、メタルの限界を押し広げた、メタルの限りない可能性を開花させたアルバムでもある。1988には4th「State of Euphoria」を発表。しかし歴史的名作3rdの印象が強すぎたせいか、印象的な曲が激減しておりファンの間で賛否両論となった。1990年には5th「Persistence of Time」を発表。この作品もアンスラックスらしい激烈な疾走感を落とした作風であり、ヘヴィかつダークな曲は悪くないのだが、またもやファンの間で物議を醸した。その後は1992年にジョーイ・ベラドナが脱退するなど、(後任はジョン・ブッシュ)アンスラックスにとっては良い年ではなかった。しかしジョン加入後の最初のアルバム「Sound of White Noise」が全米チャート7位にランクインするなど幸運なこともあった。ダン・スピッツの脱退などの出来事もあったが、彼らにとって最も不幸だったのが「炭疽菌」事件だろう。9:11テロ以降続発したアメリカ炭疽菌事件が彼等と全く無関係であるのにも関らず、アンスラックスというバンドの名前が話題となったのだ。しかしそんな逆境にも耐え、ファンの支えでバンド名を変えることなく、我々の知っている"スラッシュメタル四天王アンスラックス"のまま活動してくれていることは一人のファンとして非常にうれしいことだ。現在はメンバーが不安定であり、ニューアルバムの発表も危ぶまれている状況であるが、きっとアンスラックスは帰ってきてくれるだろうと信じている。 

アンスラックスのリーダーともいえるスコット・イアンはあるライナーノーツにこう書いている。ヴォリュームを上げて俺たちの曲をプレイしてくれ。そしてその頭を振ってくれ!もちろんそうするつもりだ!彼らはメタルがどういうものか分かっているし、ファンのためにメタルをプレイしていると常に自負している。アンスラックスはファンと横の繋がりだし、とても親しみやすいスラッシュメタルバンドだ。そしてあのユーモアに溢れた格好、行動はファッキングなファンに永遠に愛されるものだろう。
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有名なスラッシュメタル四天王の中において、最も過激なのはスレイヤーだろう。しかし彼らはどのような歴史を歩んできたのだろうか?今やメタル界でも最高の地位を得ている彼らの歴史を振り返ってみるとしよう。 

メタルが勃興し始めていた1982年、スレイヤーはボーカル兼ベースのトム・アラヤを中心にして、ケリー・キング(g)ジェフ・ハンネマン(g)デイヴ・ロンバード(dr)の4人によってロサンゼルスにて結成された。1983年には記念すべきデビュー・アルバム「SHOW NO MERCY」を発表。このアルバムのあまりにも過激な攻撃性と邪悪な背徳性はファンに衝撃を与えたが、当然のことながらアンダーグラウンドということもあって音質はチープだった。1984年、次の2ndに向けての布石的な3曲入りEP「HAUNTING THE CHAPEL」を発表し、次のアルベムへの期待を高めた彼らは、満を持して1985年、2nd「HELL AWAITS」を完成させた。このアルバムはスラッシュメタルの歴史的な名盤となり、曲の攻撃性もさることながら劇的な曲構成も考慮されておりスレイヤーの実力を世に知らしめた。しかし、オープニングの2分間永遠と「三行法師」(?)と言い続けるのはあまりにも衝撃的だ……。そして1986年、彼らは前作を遥かにしのぐメタル史に残る大傑作「Reign in Blood」を発表する。このアルバムは30分に満たない作品ながら、すべてが凄まじい混沌の嵐のごとく駆けて行くとてつもないアルバムである。このアルバムを最高傑作とするファンは多い。しかしあまりにも過激な歌詞は問題視された。これは攻撃的なメタルをプレイする場合、歌詞が過激でなければサウンドも陳腐なものになってしまうためではないだろうか。(その点、スレイヤーは全く素晴らしい。)特にその中でも、ナチスの虐殺者ヨゼフ・メンゲレについて歌った名曲中の名曲「エンジェル・オブ・デス」が問題視されたという。言うまでもないが、この曲はスレイヤーが世にもたらした曲の中で最高の名曲である。しかし無事発売され、ビルボード誌のアルバム・チャートでは最高50位台を記録するに至った。1988年には、4th「SOUTH OF HEAVEN」を発表。前作があまりにも速かったため、このアルバムでのスピードダウンはファンに問題視された。(それでもスレイヤーらしさは全く失われていない)特にラストのアコースティックパートでは賛否が激しかったらしい。私は荘厳で素晴らしいパートだと思うのだが……。1990年には5th「SEASONS IN THE ABYSS」を発表。3rdと4thを非常に良いバランスで融合したこのアルバムは邪悪なスラッシュメタルの真価をファンに見せつけた。後、前作でのスピードダウンに激怒していたファンもこのアルバムには納得したようだ。1991年、活動開始10年を記念してライヴ・アルバム「DECADE OF AGGRESSION」が発表された。彼らのデビューからのベストな選曲ともいえる内容と、圧倒的な演奏力が功を奏してライブアルバムの傑作的な内容となった。また、このアルバムではいかにスレイヤーのファンが熱狂的かも思い知らされる。その後1994年には、6th「DIVINE INTERVENTION」を発表。1996年には、パンク/ハードコアカバーアルバム「UNDISPUTED ATTITUDE」を発表。このアルバムではスレイヤーの原点が伺える。1998年、7th「DIABOLUS IN MUSICA」を発表される。2001年には、8th「GOD HATES US ALL」を発表し、過去の激烈かつ邪悪なサウンドを大幅に盛り込み傑作とみなされる。2006年には、なんと約5年ぶりのアルバム「CHRIST ILLUSION」を発表しファンを狂喜させたことは記憶に新しい。 

このように、スレイヤーは今でもメタルを語る上で欠かせないバンドである。果たして、彼らを知らないメタルファンなどがいようか?彼らはこれからも、ヘヴィメタルの持つ"攻撃性"を私たちに教えてくれることだろう。
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ヘヴィイメタルの歴史が80年代から始まっていったことは周知の事実である。しかしまだ、完全にメタルという特異なジャンルが広まっていたわけでもなかった。 
この時代にもメタルの始祖といわれる偉大なバンドたちは、そのサウンドを確立させていった。 
メロディックメタルの始祖と囁かれるアイアンメイデンは82年「The Number Of The Beast」を皮切りに世界的な跳躍をみせた。 エピックメタルの王座に君臨するマノウォーは84年、歴史的名盤「Sign Of The Hammer」を完成。 
また、すべてのスラッシュメタル、ブラックメタルに影響を与えたとされるヴェノムは名盤「Welcome To Hell」、「Black Metal」を発表した。 

しかし、メタルシーンに決定的な衝撃を与えたのがメタリカの83年に発表した「Kill 'em All」であった。この衝撃的なまでに攻撃的なサウンドは多くのメタルファンにとてつもないインパクトを与えた。そんなシーンに殴り込みをかけたメタリカであるが、彼らは1981年アメリカのロサンゼルスで結成された。デンマーク出身のラーズ・ウルリッヒ(dr)がアメリカカリフォルニア州に引っ越し、その後ジェイムズ・ヘットフィールド(vo/g)と出会ったのがきっかけである。のちにメガデスを結成するデイブ・ムステインの解雇等の苦難を経て、ギターにカーク・ハメット、ベーシストにクリフ・バートンを迎え入れ1stアルバムが製作されたわけである。1stに続いて、84年には2nd「Ride The Lightning」が発表される。なんとアコースティックギターでアルバムが始まるという劇的な構成を持ってして、後に1000ものバンドが彼らのまねをしたという。メロディアスかつ過激な楽曲の数々は今でも色あせていない。そして86年には、全メタルファンに屈指の名盤として知られる3rd「Master Of Puppets」を完成させる。このアルバムはメタルとしては異例のゴールド・ディスクを獲得。まさにメタリカの名を世界中に知らしめた。収録曲「Master Of Puppets」はスラッシュでも類を見ない展開を持つ凄まじい名曲だ。しかしアルバムの成功とは裏腹に、メタリカには最悪の悲劇が起こる。初期のメタリカのサウンドに決定的な要素を齎した偉大なるベーシスト、クリフ・バートンの事故死である。ツアー中のバスが凍結した路面で横転し、彼はこの世を去ったのである。彼の天才的、そして独創的かつ攻撃的なプレイは今でもファンの間で伝説となっている。後にメタリカはクリフ追悼ビデオ、「クリフに捧ぐ」を発表している。メタリカは悲劇を乗り越え新しいベーシスト、ジェイソン・ニューステッドを迎え88年、「...And Justice For All」を発表。プログレッシブで構成美を極めた作風は初期メタリカの集大成的内容である。始めてのプロモーションビデオを制作した名曲「ワン」は、なんとグラミー賞ヘヴィメタル部門にノミネートされた。これは"メタルバンド"メタリカがアンダーグラウンドを飛び出し、世界に飛躍したという偉業でもあった。1991年、彼らは5th「Metallica」を発表。通称ブラックアルバムと称されるこのアルバムはなんと全米初登場1位を獲得した。さらに、全世界では2000万枚を超える大ヒットというヘビィメタル界にとっては衝撃以外の何事でもない事態を引き起こしたのである。これこそ本当に、メタリカもといヘヴィメタルが世界に認められた証拠であった。その後彼らはワールドツアーを終えた後、休養期間へと入る。そして5年後の1996年には6thアルバム「Load」 を発表。全英・全米1位を記録する。 続く1997年には7thアルバム「 Reload 」発表。こちらも全米1位を獲得するが、スラッシュ時代の過激性が息を潜めた作風はファンの間で大きな物議をかもしだした。成功を収めたものの、彼らは期待されるサウンドを模索し、苦しんでいたのである。1998年に発表された、カヴァー曲を集めた「Garage Inc. 」はファンにとって嬉しい作品となった。メタリカのルーツが垣間見れる貴重なアルバムだといえるだろう。しかし2001年1月にベーシストのジェイソン・ニューステッドが脱退。彼とメタリカの確執はメンバーを大きく苦しめた。そんな彼らの怒りが詰め込まれたとでもいうような8thアルバム「St. Anger」は、メタリカが全てにけじめをつけ、メタリカたるサウンドを網羅した、結果として素晴らしい傑作アルバムとなった。また、このアルバムが発表されるまでの3年間に密着した映画「メタリカ:真実の瞬間- Some Kind Of Monster -」が製作され、文字通りメタリカの苦悩、メタルに見出す人間の真実は多くのファンの心を打った。このアルバム時のベーシストはプロデューサーのボブ・ロックが担当した。現在はロバート・トゥルージロが加入し、2008年9thアルバム 「 Death Magnetic」が発表される。初期を彷彿とされるサウンドはファンに熱烈に歓迎された。また彼らは2009年、オハイオ州クリーブランドでの授賞式にてロックの殿堂入をも果たしたのである。恐らくメタリカは世界で最も有名なメタルバンドだろう。 

思えばメタリカは本当に偉大なメタルバンドだ。かつて彼らは社会の矛盾に対して怒り、過激なスラッシュメタルで自らの怒りを表現した。とても万人が認めるようなスタイルではなかった。彼らはこれほどまでに世界中のファンに認められるなど当時は思っていなかったに違いない。しかしメタルとは不思議なものだ。今こうして世界中で何億というファンが彼らのメタルを聴いているのだから。そう、彼らは認められたのだ。メタルの世界で成功を熱望する者は極めて少ない。現実味がないからだ。多くのメタル・ウォリアーは自分が好きなメタルをプレイするということに喜びを感じ、成功などは後回しだ。それが謙虚であり、多くのファンの心を掴むのだろう。実際私もそうだ。しかしメタリカのように、自分たちの愛してやまないヘヴィメタルが世界に認められるということは感動的なことかもしれない。なぜならそれは多くの人間が、ヘヴィメタルという珍妙な一つの目的の元に、団結することができたからである。

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メタルを語る上で欠かせないバンドはいくつもある。
 
今日ここに紹介する「スラッシュメタル四天王」はその中でも、特に重要なバンドたちだろう。その名の通り四天王は4バンドあり、メガデスもその1つに数えられている。 

今日語っていくのは他でもない、バンドの創始者デイヴ・ムステインと共に歩んできたスラッシュメタルバンド・メガデスの苦難の道のりである……。


1982年、メガデスのリーダーとなるデイヴ・ムステインはメタリカにギタリストとして在籍していた。しかし、メタリカのメンバーとの諸問題により、バンドをクビになってしまう。(その頃のデイブはかなりの不良だった)当時のデイブの心の傷は相当なもので本人いわく「親の死より辛かった」そうだ。もしかしたらここからデイブの苦難の道のりは始まったのかもしれない。
その後、メタリカへの復讐心とメタルへの思いを捨てきれなかったデイヴは、たまたま自分のアパートの近くに住んでいたベーシストのデイヴィッド・エレフソンと出会う。夜な夜なベースを爆音で弾くエレフソンにデイブは怒り苦情を言いにいって喧嘩になった。これがメガデスの始まりであった。
そして85年、新たにギタリストとドラマーを加え、念願の1stアルバム「Killing Is My Business... And Business Is Good!」を発表した。(他の四天王に比べ、彼らの1stのリリースは遅かった)この頃から複雑でテクニカルなメタルの要素は含まれていたが、メンバー全員の麻薬中毒のせいで資金が底をつき、劣悪なプロダクションに陥ってしまったという。今でもその音質の悪さは、レコードで聴くことができる。(しかし2002年には念願のリマスターがされた)デイヴの精神状態に伴いメガデス内部での麻薬中毒などの事件は、今後さらに頻繁に起こることとなる。
続く86年には、初期の名盤「PEACE SELLS... BUT WHO'S BUYING?」を発表。タイトルの「平和を売る……しかし誰が買うんだ?」という衝撃的な歌詞等で社会・政治への皮肉を過激なまでに表現した本作は、メガデスの歴史において最高傑作と称するファンも多い。無論私も大好きな作品だ。サウンドはさらに知的になり、彼ら独自のスタイルを完成させた。デイヴはこのメタルを"インテレクチュアルスラッシュメタル"と呼んだ。また、アルバムのジャケットに登場しているヴィック・ラトルヘッドも彼らならではのコミカルな演出としてファンに好まれた。
88年には3rd「SO FAR SO GOOD...SO WHAT!」を発表。このアルバムには、メタリカ時代の親友クリフ・バートンの死に触発されて書いたという名曲を収録。(これについてはリマスター版のブックレットに入っているデイヴの解説に興味深いことが書かれている)なんとこのアルベムはメタルとしては異例のプラチナムアルバムを獲得した。
1990年には歴史的名盤として名高い4thアルバム「RUST IN PEACE」が発表された。もはや伝説的なギタリストのマーティ・フリードマンとドラマーのニック・メンザを迎え、メガデスは黄金時代を迎えるこことなる。マーティのメロディックなプレイにより洗礼された知的なメタルは、最高の域に達していた。
1992年、5thアルバム「COUNTDOWN TO EXTINCTION」発表。以前より若干抑えめなサウンドはよりシンプルとなり、結果として全米チャート初登場2位という驚異的な数値を記録。しかしその後、治まったかと思われていたデイヴの麻薬問題が再浮上し、メガデスはまたもや危険な状態に陥っていくこととなる。
しかし定期的にアルバム製作は続き1994年、6thアルバム「YOUTHANASIA」を発表する。メロディアスなサウンドで全米チャート初登場4位を記録した。
1997年には7thアルバム「CRYPTIC WRITINGS」を発表。黄金時代の集大成的なアルバムだが、メンバーの間に生じた不具合はぬぐい切れなかった。アルバムのポップな内容は、当然ながらファンの間に物議を醸し出した。
さらに1999年の8thアルバム「RISK」ではポップな内容になり、一部ではメガデスは終わったとまで囁かれた。メンバーとの関係もさらに悪化し、2000年には最高のギタリスト、マーティ・フリードマンまでが脱退してしまう。
しかし2001年、起死回生を込め「THE WORLD NEEDS A HERO」を発表。だが現実は甘くなく、中途半端な内容はファンには受け入れられなかった。
そして2002年、衝撃的な事件が勃発。バンドのリーダーであり創始者でもあったデイヴ・ムステインが突如脱退。結果的にバンドは解散してしまう。さらに悲しいことに、デイブは自分のギターをオークションで売り払ってしまったのだ。誰もがメガデスの歴史は終わったのだと、そう思った。
……それから約2年間、デイヴは自分の人生を振り返った。そして彼は……やはり自分はメタルをやり続け、メタルに一生を捧げるために戻ってきたのだった。再びアルバム制作の意思を固めたデイブは着々と準備を続けた。そして2004年にメガデス名義で発売されたアルバム「THE SYSTEM HAS FAILED」は過去のファンの度肝を抜くテクニカルでメタリックな独特の内容で、完全にメガデス再生を世界に知らしめることとなった。私も今でも普通に聴いている傑作アルバムである。その後の彼の話では、メガデスとして再びツアーに出た際のあまりのファンの熱狂ぶりに、メガデスを再び続けていくことを決心したのだそうだ。
それが通じたのか2007年にはアルバム「UNITED ABOMINATIONS」を発表。全米チャート8位を記録するに至った。このアルバムも初期を思わせる攻撃的でテクニカルで邪悪な要素満載で、素晴らしいアルバムとなった。
続く2009年には12thアルバム「ENDGAME」を早くもリリース。黄金期を思わせるエクストリームな作風はメガデス順風満帆を思わせ、また熱心なファンをも熱狂させた。良く言われることだが、もはや彼らの"キリング・ビジネス"はメタル界になくてはならないものとなった。
そして2010年、メガデス復活を再現させるほどの衝撃をファンに与えたのが"ジュニア"として知られるオリジナル・ベーシスト、デイヴィッド・エレフソンの復帰である。メガデスにとってなくてはならないとファンの誰もが思ったデヴィッド・ジュニアが戻ってきたのである。彼はデイブとこれまでのこと(彼らの間には様々な問題があったのだ)を話し合い、遂には和解することができたのである。偶然が呼んだ軌跡かも知れないが、メガデスは再び再生したといっても過言ではないだろう。2010年もメガデスから目が離せない。
今後もメガデスの歴史は、メタルの世界と共に歩み続けるだろう。



……このように苦難の道のりを歩んできたデイヴ・ムステインことメガデスは、メタルファンにメタルとは何なのかを教え、私たちにすべてを捧げる価値のあるヘビィメタルを与えてくれた。 
私はデイブに教えられたことがある。それは、"メタルは何度でも再生することができる"ということである。デイヴはメタルを信じていたからこそ、幾多もの苦労を越えてこられたのだと思う。時には生死に関わることさえも。
メタルは本当に人生を賭けてもいい音楽だと、私はメガデスを通して思うきっかけとなったのだ。彼には感謝しきれない。
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