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Introduction

Robert_E_Howard

「エピック・メタルとは、叙事詩的なヘヴィメタルの総称であり、主に大仰かつ劇的でヒロイックな音楽性を示す言葉である」 [More stats] 

 ──Cosman Bradley


◆新着情報 News Topics
[Reviews]
VALKYRIE 「Deeds of Prowess」
WRATHBLADE 「Into the Netherworld's Realm」
VIRGIN STEELE 「Nocturnes of Hellfire & Damnation」
[Release]
Battleroar 「Codex Epicus」
Cirith Ungol 「King Of The Dead」
Manilla Road 「To Kill a King」

 音楽や芸術などは、人間の生活には欠かせないものである。しかし、それらは、直接的には衣食住と繋がりはない。
 詰まるところ、人間は、音楽を聴かなくても生きていけるのだ。そういう考えの上では、本も必要なく、絵も大きな意味はない。
 従来のヘヴィメタル・ファンたちは、この音楽を非常に真剣に考えてきた。歌詞の意味や楽曲の世界観などを深く考察してきたのだ。
 日本人たちは、音楽を娯楽として考えることが多い。"名曲"というものは、楽曲のクオリティに関わらず、主にメディアやラジオから生み出されてきた。
 その結果として、海外のヘヴィメタル・ファンたちとの間に温度差がある。
 単純に知識量を考えてみても、日本人たちは、決してヘヴィメタルに詳しい訳ではない。
 時間とは平等に流れているため、海外のヘヴィメタル・ファンとの間の差は広がるばかりである。
 海外のヘヴィメタル・ファンたちが、この音楽を重要だと思うのには理由がある。ヘヴィメタルは、音楽という存在を超えた何かである。
 人間の精神や生活、ファッションなどに多大な影響を与える音楽、それがヘヴィメタル。
 こうした部分で、日本人たちが考える音楽(ヘヴィメタル)と外国人たちの間には、明確な違いがある。


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 反社会的、暴力的、底辺、低学歴──これが一般的なヘヴィメタルのイメージである。
 社会の大人たちは、反社会勢力や犯罪行為などに対して、強い嫌悪感を抱いてきた。自らが子供たちを導く立場として、そういう勢力の情報は避けるべきものだった。
 そして、ヘヴィメタルという音楽は、反社会勢力や犯罪組織などと繋がっているというイメージが定着していった。
 実際のところ、これまでのヘヴィメタル・シーンの中では、ブラック・メタル・バンドたちによる犯罪行為や、プロ・ミュージシャンの殺人事件などが起こっている。強姦やドラッグ問題などは日常茶飯事だった。
 当然のように、こういったシーンと関わってきた人間たちは、社会的に考えると、避けられるべき存在だった。反社会勢力に加担している人間たちが、社会の中で普通に生活できる訳がない。
 近年のニュースや新聞などを見る限り、日本人たちは、勧善懲悪の考え方に固執している。その結果として、悪いイメージが付いているものを徹底的に嫌うのである。
 ヘヴィメタルは、社会的な悪であり、子供たちが関わってはいけないものだ。しかし、その子供たちは、自分たちの身近にいる大人たちが、無意識のうちに偽善者となっていることを知らない。

ブラック・メタルの血塗られた歴史 (Garageland Jam Books)



 
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 音楽には、様々な目的や効果がある。これを娯楽として考えるファンたちは多い。
 一方、ヘヴィメタル・シーンは、音楽を現実のように重く考えている。個人の生活や思想に影響する音楽、それがヘヴィメタルだった。
 どういう国がこの音楽を軽く扱っているのか。答えは日本だろう。
 日本という国は、映画や音楽などを娯楽として考える傾向が強かった。所謂、楽観主義的な思想が、一般人たちの中にも浸透していたのだ。
 一方、日本人たちは、我慢強く、妙に真面目な性格のため、感情を表に出すことも少なかった。
 ヘヴィメタルという音楽は、人間の内なる感情を表に吐き出すものだった。そこには、人間の怒り、葛藤、絶望、悲しみなどが入り混じっていた。
 日本人たちにとって、感情を表に出すことは正義ではない。そうすると、仕事やプライベートも上手くいかなくなる。大人とは、感情をコントロールできるものだ。
 つまり、日本人とヘヴィメタルは、性格的にも相性が悪い。激しい音楽で内なる感情を吐露することは、恥ずかしい行為なのだ。
 しかし、人間という生物は、いつまでも感情を抑圧されていると、それが一斉に爆発する。その結果として、日本では、有り得ないような凶悪犯罪や事件が起こっている。
 例えば、精神がおかしくなる前に、ヘヴィメタルに出会っていれば、その未来は変化したのかも知れない。


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 どんな物事にも影響力というものがある。そして、人々は何かの影響を受けて行動する。
 その影響力の裏側にあるのが、個人の地位や名声、富や権力などである。人間という生物は、元来、力の強い物に従ってきた。
 遥か大昔、人類が武器を手にして間もない頃は、力の判断基準が単純だった。例えば、腕っ節の強さで他人を支配することができた。
 しかし、現代では、力の判断基準が大きく異なっている。もはや、今の時代に青銅の剣や斧などはなく、金が力の源である。
 そして、貧困の人々は、金を持っている人物の言動に影響を受ける。それは社会や音楽シーンの中でも、変わることのない法則である。
 ヘヴィメタル・シーン全体を見た時、本当に金を持っているミュージシャンやバンドたちは、一握りに過ぎない。殆どのミュージシャンやバンドたちは貧乏であり、他人に強い影響を与えるだけの根拠がない。
 過去、地位や名声、富や権力を持ったミュージシャンやバンドたちの言動に、人々は動かされてきた。力の弱い存在に影響力はないということである。
 もしかすると、日本国内でヘヴィメタルが力を持っていない現状も、これに関係しているのかも知れない。一般人たちは、「売れない音楽」に対して、見向きもしないものだ。


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The About Heavy Metal Research...


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https://nme-jp.com/news/75160/

ヘヴィメタルの世界とその研究
 近年、オーストラリアのニューカッスル大学で、「ヘヴィメタル地理学」の研究のための奨学金が設置されることとなった。合格者は、「ヘヴィメタル文化の社会地理学」の研究を行えるようになる。
 長年、ヘヴィメタルは独自のシーンを形成してきたため、こうした研究も現代では盛んになってきた。その背景には、世界中のヘヴィメタル・ファンたちが、積極的にこの分野の研究を行いたいと意識している現状がある。
 実際のところ、ヘヴィメタル・ファンたちは、様々な視点からこのジャンルやシーンについて研究してきた。それが学問として認められるのは、既に時間の問題だった。
 このようにして、オーストラリアでは、遂にヘヴィメタル研究が学問として認められることとなった。もはや、ヘヴィメタルは、単なる音楽ジャンルの内の一つではない。



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 現代の社会の中では、人々の行動が善悪と深く繋がっている。特に最近では、ツイッターやフェイスブックなどのSNSの影響で、個人の行動が特定されるようになった。
 言うまでもなく、世間一般の人々が注目しているのは、"悪い"行為の方だ。
 良くない(気に入らない)行為をしている人がいたら、それをSNSに挙げる。そこで思っていることを呟く。上手くいけば、炎上して大きな話題となる。
 そういう行為が繰り返されて、今の日本では、緊張状態が続いている。人々が安心して街を歩くことは難しい。誰かが個人の善悪を判断・監視しているのだ。
 ヘヴィメタルの世界では、悪い行動もはっきりと描かれることが多い。
 例えば、ヘヴィメタル・バンドが過去にドラッグ問題や犯罪行為などを犯していたという部分だ。こういう部分を隠さないで生きているのが、メタル・ミュージシャンやファンたちである。
 当然のように、世間からは、ヘヴィメタルに関わる人間は、基本的に"悪い"と考えられている。その意見が間違っていることを指摘しても、多数決原理によって、酷く後悔することとなる。
 一般人からすると、メタル・ミュージシャンやファンたちは、"悪い"世界に関わっている、良くない人種なのだ。そして、そういう意見が大多数を占めている。つまり、"少数派"のヘヴィメタル勢を非難・攻撃しても、大きなデメリットはないのである。
 こうした不条理な現実があることを、ヘヴィメタルのファンたちは、良く理解している。
 今、SNS上で何かと善悪だと騒いている人々は、実際に自分たちが、無意識のうちに"悪い"行為に加担していることに気付いていない。だから平気で少数派を非難・攻撃する。
 メタル・ミュージシャンやファンたち──そういう人種を蔑むことは、悪にはならない。なぜなら、他の大勢の人々が、同じように少数派を非難しているから。
 数が多いことは、強いこと。やがて、その子供たちも、親たちと同じような考え方を持つだろう。
 この世の善悪とは、果たして何なのか。それは人間という社会的生物が生み出した、単なる物差しに過ぎないのか。
 ヘヴィメタルを聴き続ければ、何れ、その答えに辿り着くだろう。

フォロー・ザ・リーパー



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 日本では、ハロウィン、ガンマ・レイ、アングラ、ストラトヴァリウスなどのメロディック・パワー・メタルが高い人気を集めている。更に"メロスピ"や"クサメタル"という造語まで浸透している通り、こういったジャンルが馴染み深いことは事実である。
 その背景には、日本人メタラーがメロディック系のロックが好きだという部分がある。例えば、クイーンなども日本では特に人気が高い。日本人はメロディアスなヴォーカルやサウンドに惹かれるのである。
 しかし、殆の洋楽に言えることだが、日本人が本来の英語の歌詞やリズム感を理解するためには時間が掛かる。実際のところ、一瞬だけ耳にして、英語の音楽を理解することは困難である。
 これがメロディの場合は、結果も大きく異なってくる。単純なメロディに深い意味やキーワードなどはないため、"個人の好み"だけでそれを判断することができる。そうして好きな音楽や楽曲を見つけるのだ。
 ヘヴィメタルの場合は、ギターという楽器がサウンドの中心になっている音楽である。印象的なギター・リフやメロディだけで楽曲の良し悪しを判断することは簡単だ。
 また、数多くの日本人は仕事が忙しく、歌詞カードを見ている時間も少ない。メロディだけで楽曲を判断することは合理的である。
 一方、単純に個人の好き嫌いで楽曲を判断する場合、メロディは大きな要素となってくる。余計な情報は要らない。耳や体でそれを感じるだけだ。
 日本人は、そういう自然体の感性でヘヴィメタルを聴いている。だからこそ、メロディアスなヘヴィメタルが印象に残りやすいのである。シンプルなリフも良いが、メロディアスなフレーズはリピートしたくなる。

Infinite



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 過去の偉大なロック・ミュージシャンたちの人生を振り返ると、そこには必ず何かしらの"クズ・エピソード"が登場する。例えば、家族よりも音楽を優先したという話や、ギャンブルやドラック類に溺れていたという内容は非常に多い。
 世界的に有名なポップス界のスターですら、一般人たちの間では、そういった良くない話が囁かれている。これがロック・ミュージシャンの場合は、更に酷い一般人たちのイメージが定着している。
 実際のところ、従来のヘヴィメタルとはロックの発展型であり、その内容にも過激な部分があった。そして、一般人たちはロック音楽を嫌うことで、自らが真面目な大人であることを強調しようとした。言うまでもなく、その利己的な大人たちの犠牲となったのが、純粋なロック・キッズたちである。
 ロック・キッズたちは、必ず親たちから話があると言われ、ラウド・ミュージックに対しての様々な悪い出来事を聞かされる。そこで登場するのが、「ヘビメタ・ミュージシャンはクズ」という言葉である。正義感の強い親たちに言わせれば、ヘビメタ・ミュージシャンの殆どは、異常な麻薬中毒者であり、家族を見捨てるクズなのだ。
 しかし、本当の部分で、一般人たちは、ヘビメタ・ミュージシャンたちの素顔を知らない。別に知る必要性もないのだ。
 例えば、凶悪なサウンド・スタイルで知られるスレイヤーのトム・アラヤは、大音量のライブから家に帰ると、子供たちの一人の父親となる。トム・アラヤは、過去のインタビューの中で、必要以上に家族に気を使っていることを明かしている。見た目は恐ろしいヘビメタ・ミュージシャンでも、現実では家族との距離に悩む、一人の普遍的な人間に過ぎない。
 また、エピック・メタルの始祖、マニラ・ロードのマーク・シェルトンは、自らの子供たちを立派に育て上げた後、今は完全に趣味で音楽を演奏している。そこにあるのは、純粋に家族との時間を求めた普遍的な人間の姿だ。
 現代の中でも、ロックやヘヴィメタルという音楽は、外見的なイメージで様々な誤解を受けている。中には本物のサイコパスらしいミュージシャンもいるが、大抵は普通の人間だ。「ヘビメタになら何を言っても良い」という安直な時代は、既に過ぎ去っている。

ウォー・アット・ザ・ウォーフィールド [DVD]




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 この世の中には、非常に汚い言葉があるが、人々はそれらを日常の中で使うことを躊躇っている。特に社会的立場のある大人たちは、必要以上にそうした言葉から避けるような生活を送っている。
 しかし、この社会が平等で美しいものなら、人間が「Fuck」、「Shit」、「Bitch」、「Asshole」などの汚い言葉を使う必要性はないのである。
 実際はどうだろうか。今の人々は、昔よりも遥かに「クソ」や「クズ」という言葉を乱用している。その背景には、一体何があるのだろうか。
 例えば、世界的なヘヴィメタル・バンドのメタリカは、「全てクソ食らえ」という表現を好んで使ってきた。自らのアルバムの評価に対しても、この言葉を使うくらいなのだから、本当に無意識のうちに出てしまう口癖なのだろう。
 また、「Fuck」という言葉の使用例を考えると、殆どのヘヴィメタル・ミュージシャンが日常的にこれを活用している。有名なヘヴィメタル・シンガー、オジー・オズボーンの口癖も「Fuck」であり、ファンたちはこの言葉を頻繁に耳にしている。
 一方、映画シーンでは、中年太りしたレオナルド・ディカプリオが、『ブラッド・ダイヤモンド』(Blood Diamond, 2006)の中で、「Fuck」と口にする姿が印象に残っている。かつて、美青年として人気を博したレオナルド・ディカプリオが、こうした汚い言葉を使う姿は、数多くのファンたちを戸惑わせたものだ。
 結局のところ、「全てクソ食らえ」というアティテュードは、人間が生きていく上では必要なものである。従来のヘヴィメタル・バンドたちは、世の中が本当に無情なことを理解した上で、この汚い言葉を発しているのだ。単純に世の中や周囲の環境が気に入らないから、汚い言葉を撒き散らしている訳ではない。

ブリザード・オブ・オズ~血塗られた英雄伝説




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 8月31日、「週刊文春」やテレビ放送によって明らかとなった、世界的ジャズ・ミュージシャンである日野皓正氏(74)が起こした"ビンタ騒動"。この事件の様子は、Youtubeにアップされた衝撃的な映像の中にも、はっきりと収められていた。
 事件後、日本のワイドショーでは、この"ビンタ騒動"に対する多種多彩な意見が、有名人たちの口から発せられた。ここで問題視されたのは、「日野皓正氏が中学生に暴力を振るった」という部分だった。
 現在の日本には、体罰に関して過剰な反応を示す大人たちが大勢いる。当然のように、この"ビンタ騒動"も大炎上する結末を迎え、私たちは、改めて教育と体罰に関して考える機会を得た。

 しかし、どうしてこのプロのジャズ・ミュージシャンによる"ビンタ騒動"を、わざわざ当ヘヴィメタル専門サイトで取り上げたかというと、"音楽"と"暴力"の二つの要素が、決して無関係ではないと感じたからである。
 実際のところ、従来のヘヴィメタルという音楽は、常に理不尽な"暴力"と接してきたジャンルであり、ファンたちが社会や大人たちから弾圧され、圧力を掛けられるという場面が少なくなかった。つまり、今回の日野皓正氏が起こした"ビンタ騒動"にも、日本の一人のヘヴィメタル・ファンとして、疑問に感じる点が多かったのである。

 日野皓正氏の言い分は、「猪木のビンタより痛くない。ビンタも必要な時もある」というものだった。また、連日のワイドショーでは、有名人たちの口から、「昔は体罰もアリだった」という意見が数多く挙がった。所謂、「体罰容認派」だ。
 8月20日、東京・世田谷区の世田谷パブリックシアターの中で、日野皓正氏は、中学生をビンタすることによって、その演奏(ドラムソロ)を中断させた。
 しかし、そこには、ある図式が完成していた。
 音楽を演奏する場において、子供の"表現"が、大人の"暴力"によって止められたのである。

 確かに、日本の60代~70代の大人たちは、自らの社会的立場や周囲の規律を守ることに関しては、特に敏感な世代だった。何故なら、そういった大人たちは、殆どが戦争経験者であり、日本の古い軍事教育を目の当たりにしているからだ。
 また、このような古い思想に固執した高齢の大人たちが、子供たちの表現の自由や将来の可能性を奪い去っていくことは、決して珍しい出来事ではなかった。以前、当サイトでは、ヘヴィメタルのファンたちが、社会の大人たちに抑圧されてきた歴史を書いたが、そういう恐ろしい出来事は、世間の裏側で頻繁に起こっているのだった。

 今回、"ビンタ騒動"を起こした日野皓正氏は、世界的ジャズ・ミュージシャンという立派な肩書きを持ち、結果的には、それが一般人たちから注目を集める引き金となった。恐らく、一般人たちは、無名のミュージシャンが同じような事件を起こしたら、見向きもしなかったのかも知れない。
 しかし、このようにして、"音楽"と"暴力"という、殆ど無関係だと思われてきた要素が交わる事件が起きたことを、現代の私たちは忘れないようにしたい。

Vulgar Display of Power




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