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Robert_E_Howard

「エピック・メタルとは、叙事詩的なヘヴィメタルの総称であり、主に大仰かつ劇的でヒロイックな音楽性を示す言葉である」 [More stats] 

 ──Cosman Bradley


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WRATHBLADE 「Into the Netherworld's Realm」
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Cirith Ungol 「King Of The Dead」
Manilla Road 「To Kill a King」

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 過去の偉大なロック・ミュージシャンたちの人生を振り返ると、そこには必ず何かしらの"クズ・エピソード"が登場する。例えば、家族よりも音楽を優先したという話や、ギャンブルやドラック類に溺れていたという内容は非常に多い。
 世界的に有名なポップス界のスターですら、一般人たちの間では、そういった良くない話が囁かれている。これがロック・ミュージシャンの場合は、更に酷い一般人たちのイメージが定着している。
 実際のところ、従来のヘヴィメタルとはロックの発展型であり、その内容にも過激な部分があった。そして、一般人たちはロック音楽を嫌うことで、自らが真面目な大人であることを強調しようとした。言うまでもなく、その利己的な大人たちの犠牲となったのが、純粋なロック・キッズたちである。
 ロック・キッズたちは、必ず親たちから話があると言われ、ラウド・ミュージックに対しての様々な悪い出来事を聞かされる。そこで登場するのが、「ヘビメタ・ミュージシャンはクズ」という言葉である。正義感の強い親たちに言わせれば、ヘビメタ・ミュージシャンの殆どは、異常な麻薬中毒者であり、家族を見捨てるクズなのだ。
 しかし、本当の部分で、一般人たちは、ヘビメタ・ミュージシャンたちの素顔を知らない。別に知る必要性もないのだ。
 例えば、凶悪なサウンド・スタイルで知られるスレイヤーのトム・アラヤは、大音量のライブから家に帰ると、子供たちの一人の父親となる。トム・アラヤは、過去のインタビューの中で、必要以上に家族に気を使っていることを明かしている。見た目は恐ろしいヘビメタ・ミュージシャンでも、現実では家族との距離に悩む、一人の普遍的な人間に過ぎない。
 また、エピック・メタルの始祖、マニラ・ロードのマーク・シェルトンは、自らの子供たちを立派に育て上げた後、今は完全に趣味で音楽を演奏している。そこにあるのは、純粋に家族との時間を求めた普遍的な人間の姿だ。
 現代の中でも、ロックやヘヴィメタルという音楽は、外見的なイメージで様々な誤解を受けている。中には本物のサイコパスらしいミュージシャンもいるが、大抵は普通の人間だ。「ヘビメタになら何を言っても良い」という安直な時代は、既に過ぎ去っている。

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 この世の中には、非常に汚い言葉があるが、人々はそれらを日常の中で使うことを躊躇っている。特に社会的立場のある大人たちは、必要以上にそうした言葉から避けるような生活を送っている。
 しかし、この社会が平等で美しいものなら、人間が「Fuck」、「Shit」、「Bitch」、「Asshole」などの汚い言葉を使う必要性はないのである。
 実際はどうだろうか。今の人々は、昔よりも遥かに「クソ」や「クズ」という言葉を乱用している。その背景には、一体何があるのだろうか。
 例えば、世界的なヘヴィメタル・バンドのメタリカは、「全てクソ食らえ」という表現を好んで使ってきた。自らのアルバムの評価に対しても、この言葉を使うくらいなのだから、本当に無意識のうちに出てしまう口癖なのだろう。
 また、「Fuck」という言葉の使用例を考えると、殆どのヘヴィメタル・ミュージシャンが日常的にこれを活用している。有名なヘヴィメタル・シンガー、オジー・オズボーンの口癖も「Fuck」であり、ファンたちはこの言葉を頻繁に耳にしている。
 一方、映画シーンでは、中年太りしたレオナルド・ディカプリオが、『ブラッド・ダイヤモンド』(Blood Diamond, 2006)の中で、「Fuck」と口にする姿が印象に残っている。かつて、美青年として人気を博したレオナルド・ディカプリオが、こうした汚い言葉を使う姿は、数多くのファンたちを戸惑わせたものだ。
 結局のところ、「全てクソ食らえ」というアティテュードは、人間が生きていく上では必要なものである。従来のヘヴィメタル・バンドたちは、世の中が本当に無情なことを理解した上で、この汚い言葉を発しているのだ。単純に世の中や周囲の環境が気に入らないから、汚い言葉を撒き散らしている訳ではない。

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 8月31日、「週刊文春」やテレビ放送によって明らかとなった、世界的ジャズ・ミュージシャンである日野皓正氏(74)が起こした"ビンタ騒動"。この事件の様子は、Youtubeにアップされた衝撃的な映像の中にも、はっきりと収められていた。
 事件後、日本のワイドショーでは、この"ビンタ騒動"に対する多種多彩な意見が、有名人たちの口から発せられた。ここで問題視されたのは、「日野皓正氏が中学生に暴力を振るった」という部分だった。
 現在の日本には、体罰に関して過剰な反応を示す大人たちが大勢いる。当然のように、この"ビンタ騒動"も大炎上する結末を迎え、私たちは、改めて教育と体罰に関して考える機会を得た。

 しかし、どうしてこのプロのジャズ・ミュージシャンによる"ビンタ騒動"を、わざわざ当ヘヴィメタル専門サイトで取り上げたかというと、"音楽"と"暴力"の二つの要素が、決して無関係ではないと感じたからである。
 実際のところ、従来のヘヴィメタルという音楽は、常に理不尽な"暴力"と接してきたジャンルであり、ファンたちが社会や大人たちから弾圧され、圧力を掛けられるという場面が少なくなかった。つまり、今回の日野皓正氏が起こした"ビンタ騒動"にも、日本の一人のヘヴィメタル・ファンとして、疑問に感じる点が多かったのである。

 日野皓正氏の言い分は、「猪木のビンタより痛くない。ビンタも必要な時もある」というものだった。また、連日のワイドショーでは、有名人たちの口から、「昔は体罰もアリだった」という意見が数多く挙がった。所謂、「体罰容認派」だ。
 8月20日、東京・世田谷区の世田谷パブリックシアターの中で、日野皓正氏は、中学生をビンタすることによって、その演奏(ドラムソロ)を中断させた。
 しかし、そこには、ある図式が完成していた。
 音楽を演奏する場において、子供の"表現"が、大人の"暴力"によって止められたのである。

 確かに、日本の60代~70代の大人たちは、自らの社会的立場や周囲の規律を守ることに関しては、特に敏感な世代だった。何故なら、そういった大人たちは、殆どが戦争経験者であり、日本の古い軍事教育を目の当たりにしているからだ。
 また、このような古い思想に固執した高齢の大人たちが、子供たちの表現の自由や将来の可能性を奪い去っていくことは、決して珍しい出来事ではなかった。以前、当サイトでは、ヘヴィメタルのファンたちが、社会の大人たちに抑圧されてきた歴史を書いたが、そういう恐ろしい出来事は、世間の裏側で頻繁に起こっているのだった。

 今回、"ビンタ騒動"を起こした日野皓正氏は、世界的ジャズ・ミュージシャンという立派な肩書きを持ち、結果的には、それが一般人たちから注目を集める引き金となった。恐らく、一般人たちは、無名のミュージシャンが同じような事件を起こしたら、見向きもしなかったのかも知れない。
 しかし、このようにして、"音楽"と"暴力"という、殆ど無関係だと思われてきた要素が交わる事件が起きたことを、現代の私たちは忘れないようにしたい。

Vulgar Display of Power




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 一般的に"過激音楽"と呼ばれるヘヴィメタルは、ファンたちの背景にも見逃せない現実が存在している。
 実際のところ、自らが好きでヘヴィメタルのファンになったという人間は少ない。その理由は、悪質な家庭環境や社会の圧力などと、このジャンルが無関係ではないからだ。
 つまり、ヘヴィメタルのファンたちは、家庭環境や社会に何かしらの疑問を感じ、このジャンルを追求している。過激な音楽を追求する理由は、そこに人間の真実があるからだ。
 本来、人間とは弱肉強食の世界で生きてきた存在だったが、ある時から社会的な方向性を見出した。そして、数多くの大人たちは、自らの子供たちに対して、「人々は平等だ」と語ってきた。
 「噓も方便」という言葉があるが、この大人たちが語ってきた内容こそがそうである。
 例えば、ヘヴィメタルというジャンルを考えた時、そこには平等な評価や対等な立場などは存在していなかった。ここには、人間の不満、葛藤、憎悪、絶望などがあった。
 詰まるところ、ヘヴィメタルに目覚めた若い子供たちは、決して無知ではなかった。彼らには、周囲の大人たちの嘘を見抜く力があったのだ。だからこそ、過激な音楽に関わって、そこに人間の真実を見出そうとしてきた。

メタリカ 真実の瞬間 スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]




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 子供と親世代の音楽の趣味が違うのは当然だが、一方的に好みを禁じるのは間違った行為だ。何故なら、人間が音楽に求めている要素は、それぞれ異なるからである。
 しかし、日本の教育の現場では、子供たちの趣味を受け入れられない親たちが増えている。特に親たちがNGを出すのが、所謂「ヘビメタ」である。
 ヘヴィメタルの何が親世代に嫌悪感を抱かせているのか。
 その代表的な理由は、ヘヴィメタルの持つ過激なサウンドである。家の中で子供がヘヴィメタルを大音量で鳴らせば、一瞬にして、家族の憩の場には、容赦のない険悪なムードが流れる。
 つまり、この国の大多数の親たちは、子供がラウド・ミュージックの世界に足を踏み入れることを避けたいのだ。
 また、親たちの間では、ヘヴィメタルの持つ歌詞も問題視されている。
 例えば、有名なヘヴィメタル・バンドであるブラック・サバスやメタリカなどを挙げてみても、歌詞の中では、悪魔や社会への反逆行為が扱われている。ヴェノムやメガデスなどのグロテスクなアルバム・ジャケットを見れば、親たちは真っ先にそれらの処分先を考えるだろう。
 当然のように、親たちがこうしたヘヴィメタルを良いと感じるはずもなく、結果的に「ヘビメタは駄目」となるのである。
 しかし、ここで親たちは、自らが歩んできた人生を振り返って、子供たちの将来を深く考えて欲しい。自分は人のことを言える人間なのだろうか。子供たちは親の操り人形ではなく、優越感を得るための道具でもない。
 既に日本には、親たちのエゴで不幸になった子供たちが大勢いる。そこにヘヴィメタルは深く関わっていない。

ユースアネイジア




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 この世界には多種多様な音楽があるが、過激なジャンルには悪いイメージが付くものである。例えば、ヘヴィメタルも一般人からは色々な批判を受けている。
 ヘヴィメタルの持つ悪いイメージとして、"騒音"や"怖い"という部分が定着していることは、ファンたちも承知の通りである。しかし、一般人たちのイメージの中には、「ヘビメタは頭悪い」という内容まであるから驚きだ。
 つまり、ヘヴィメタルに関わっている人間は、低学歴で貧乏だというのが、一般人たちの持つイメージの一つである。確かに、ヘヴィメタル系のミュージシャンの中には、個人的な理由で教育を受けられなかった者がおり、中学・高校を退学しているケースも多い。しかし、彼らは独学で楽器の演奏、作詞、作曲方法を学び、レコード会社から幾つもの作品を発表している。
 また、実際にインドネシアでは、高学歴の人間がヘヴィメタルを聴く傾向があり、大統領のジョコ・ウィドド氏もこのジャンルの大ファン。その他にも、福島県の知事、内堀雅雄氏もジューダス・プリーストの大ファンである。
 一般人たちを動かしていく国や地域のリーダーが、ヘヴィメタルのファンである事実は、見逃せない要素だろう。つまり、従来の日本人たちが抱いてきた「ヘビメタは頭悪い」というイメージは、現在では正しいとは言えない。

背徳の掟




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 恐らく大人や高齢者たちに最も嫌悪されている音楽がヘヴィメタルである。その理由には様々な意見があるが、このジャンルが持つイメージが悪いことも深く関わっている。
 例えば、世界各地のヘヴィメタル・シーンの中では、殺人事件や麻薬問題が絶えないし、それを見た大人たちが悪いイメージを持つのも当然である。しかし、日本に限っては、海外の音楽シーンとは少し事情が違う。
 実際のところ、日本にはヘヴィメタル関連の最新情報が殆ど入ってこない。有名な某音楽番組で「ヘヴィメタル特集」などをやる訳がないし、ラジオで掛けられる音楽は、流行の最新ヒット曲に限られている。
 決定的なのは、大多数の日本人たちが、海外のラウド・ミュージックに対して、「怖い」というイメージを定着させている部分だ。これは従来のメディアの誤った報道が悪いのだが、ステレオタイプな日本人たちは、今でも昔の「ヘビメタ」のイメージを信じ切っている。
 可笑しいと感じるのは、最新の家電や高度な家の設備を求める日本人たちが、音楽に対しては、新しいイメージを必要としていない部分である。
 詰まるところ、この国の大多数の人間たちにとっては、「ヘビメタ=怖い」というイメージが正しいのだ。
 当然のように、世界のヘヴィメタル・シーンの中には、本当に怖いバンドもいるので、そこは自分たちの目で確かめて欲しい。

Slipknot




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 日本への本格的なラウド・ミュージックの輸入以降、大勢の人間たちに嫌われてきたヘヴィメタル。かつて、日本のメディアは、この音楽を「ヘビメタ」と呼び、子供たちの親世代や高齢者たちから大きな非難を浴びることがあった。
 そして、2010年代に入った現在では、日本国内で新たに「ヘビメタ・アレルギー」という病気が蔓延している。この特殊な病気は、ハード・ロックやヘヴィメタルなどの過剰な大音量を使う音楽(ラウド・ミュージック)に対して、精神的な苦痛を感じるというものだ。
 実際に「ヘビメタ・アレルギー」を発症している人間は、ラウド・ミュージックに対する免疫がないというケースが殆ど。つまり、近所や街中でそういった過激音楽を聞くと、何故か精神的に耐えられなくなるのである。
 例えば、都心の自宅や庭でヘヴィメタルを聴いていた子供たちが、近所の住人によって、一方的に警察に通報されるというケースが増加している。ツイッター上でも、「ヘビメタ騒音で通報しました、されました」という報告例が後を絶たない。
 こうした事件の背景にあるのは、間違いなく「ヘビメタ・アレルギー」を発症している人間たちの存在だ。
 詰まるところ、「ヘビメタ・アレルギー」を発症している人間たちは、どうしてもこの音楽を受け入れられないため、最終的には、警察への通報や集団での圧力といった方法に頼るのである。最悪の場合、ツイッター上で大炎上した神奈川県の青山学院大学(正確には青山学院大学相模原キャンパス)のように、「ヘヴィメタル禁止令」が発令されることとなる。
 現在、日本の大勢のヘヴィメタルのファンたちは、この「ヘビメタ・アレルギー」という深刻な問題に直面しており、一刻も早く明確な治療法を探す必要がある。この「ヘビメタ・アレルギー」問題が解決されない限り、日本でのヘヴィメタルに対する悪いイメージや圧力はなくならないだろう。

Metal Black




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 「ヘビメタなんか嫌い」と口に出す日本人は非常に多い。その背景には、この国にヘヴィメタル・カルチャーが浸透していないという原因がある。つまり、殆どの日本人は、外見的なイメージでヘヴィメタルを嫌っているのだ。
 一般的な"ヘビメタ嫌い"が進行していくと、それが「ヘビメタ・アレルギー」を発症させるから厄介だ。このアレルギーの概要は、ヘヴィメタルという言葉を聞くだけで、生理的な嫌悪感を抱くというものである。
 つまり、日本国内の「ヘビメタ・アレルギー」の患者たちは、症状の悪化を防ぐために、この音楽に関わることを一切シャットダウンする必要があるのだ。
 どうしてこういった状況になってしまったのか。今となっては、その正確な原因を追求することは困難となっている。
 なぜなら、日本の悪質なメディアは、常にヘヴィメタルの正しい知識や情報を世間から遠ざけているからである。
 そして、純粋無垢な子供たちの親は、未だに「ヘビメタは悪魔の音楽」という教育を徹底している。

狂気のスラッシュ感染




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 ヘヴィメタルという音楽にも様々な種類が存在する。例えば、メタリカ、メガデス、スリップノット、デフトーンズ、コーン、マリリン・マンソンなどは、商業的な成功を収めている。当然のように、そういったバンドやミュージシャンたちには、有名な"ヒット曲"や"ヒット作"が存在しており、一般リスナーを惹き込む強力な武器になっている。特に現代の日本人たちにとって、有名な"ヒット曲"や"ヒット作"は重要な決め手だろう。
 一方、売れていないアンダーグラウンド・シーンのヘヴィメタル・バンドたちは、全くヒットがない状況下で作品の宣伝活動をすることとなる。つまり、これは殆ど自殺行為のようなものであり、バンド側が精力的なライブを行ったとしても、新しいファン層が増える可能性は極めて低いのである。なぜなら、音楽シーンの流行に敏感な一般リスナーは、有名な"ヒット曲"や"ヒット作"がないバンドやミュージシャンたちには興味がないからだ。「興味が湧かない」と言ってもいい。アンダーグラウンド・シーンの陰鬱なヘヴィメタルが、愉快なドライブ中の車のラジオから流れてくるはずがない。
 こうした状況の中で、日本人がアンダーグラウンド・シーンのヘヴィメタル・カルチャーに手を出す機会はなく、誤った知識や情報が飛び交っている。例えば、有名なエピック・メタル・バンドとして、ラプソディー・オブ・ファイアやブラインド・ガーディアンなどの名前が挙がることがそうだ。また、日本人は、ドイツのエクリブリウムを本気でエピック・メタル・バンドだと認識している。グローリーハンマーやトワイライト・フォースなども立派なエピック・メタル・バンドである。音楽サイトで話題になるのは、バンドの過激なコスチュームやミュージシャンたちの奇抜なキャラクター性ばかりだ。
 日本のロック音楽のファンたちは、細分化したヘヴィメタルのサブ・ジャンルのルーツを本当に理解しているのだろうか。残念ながら、こういった曖昧な部分を訂正しようとする"真面目"な音楽ファンたちは少なくなった。

Metal/Invasion




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 ヘヴィメタルのジャンルのアルバムの中には、芸術や文学、歴史や映画などから影響を受けたものが多い。そういった意味では、アイアン・メイデンやジューダス・プリースト、ブラック・サバスやメタリカなどの作品は見逃せないものだろう。
 特にメタリカは、従来の映画をテーマとした楽曲を数多く作っている。その中でも、映画『カッコーの巣の上で』(1975)に影響を受けた"Welcome Home (Sanitarium)"は強烈だ。
 この楽曲は、後の名曲"One"の基礎となった存在であり、メタリカの歴史の中でも重要な位置にある。そして、その知性を感じるテーマの選択は、数多くのバンドやファンたちにも強い衝撃を残した。
 当時のメタリカのメンバーたちは、まだ十分に若かったが、それでも『カッコーの巣の上で』や『ジョニーは戦場へ行った』(1971)、『ジャスティス』(1979)や『シャイニング』(1980)などの映画に関する知識が深かった。現代の若者たちが親しむ娯楽といえば、お笑いやアニメ番組などが一般的だろう。常に時代とは変化していくものだ。

メタル・マスター




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ヘヴィメタルと人間の精神



ヘヴィメタルと人生の目的
 音楽論『ヘヴィメタルと人間の精神』は、従来のヘヴィメタルの本質を考え直し、それを過去と現代の視点で比較することから始まった。現代には音楽というものが溢れているが、どれも深遠な世界観を追求したジャンルという訳にはいかない。
 しかし、ヘヴィメタルという音楽は、これまでに人間の感情や生活に大きな影響を与えてきた。実際にヘヴィメタルと出会ったファンたちが、そこからよりポジティブな人生を歩み始めたという実話は多い。
 この『ヘヴィメタルと人間の精神』の中では、そういった人間の感情や生活とヘヴィメタルの関係性を考察し、最終的にはポジティブな結論へと辿り着いている。ここで本書が辿り着いた結論とは、ヘヴィメタルが人間に現実を学ばせ、その人生に意味や価値を与えるというものだ。
 実際のところ、『ヘヴィメタルと人間の精神』の表紙は、邪悪で不気味なイメージに包み込まれているが、中身はシリアスな研究書である。"ヘヴィメタルのシリアスな研究書"という点では、過去の『叙事詩的なヘヴィメタル』シリーズや『ヘヴィメタルを取り巻く社会』などと大して違いはない。
 これまでにヘヴィメタルという音楽は、視覚的なイメージによって様々な誤解を生み出してきたが、そういった出来事はこれからも繰り返されていくことだろう。何故なら、ヘヴィメタルとはダークな世界観が魅力の音楽だからだ。
 そして、その先に存在するポジティブなメッセージ性や、生きることへの希望となる要素を、社会の中の大勢の大人たちは、見逃しているのである。


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 ヘヴィメタルはアンダーグラウンド・シーンの中で重要な存在となっている。今ではこのジャンルがファンたちにも認知されており、ミュージシャンたちは更に高度な作品を作るだけの環境を得ている。
 ヘヴィメタルの魅力はその深遠な世界観にあるが、これはアンダーグラウンド音楽にのみ備わった要素である。深遠な世界観というものは、人間の本質に迫り、人生の意味や価値を考えさせられる力を持っている。
 現代のヘヴィメタル・シーンの中にも、シリアスなバンドたちは数多く存在し、そこにユーモアは殆どない。常に現代人たちは、楽観的な音楽、ネタになりそうなジャンル、有名人たちのスキャンダルなどを漁っているが、深遠なアンダーグラウンドのヘヴィメタル・シーンの中には、そういったものは存在していない。
 最も、人間が年老いた時、自らの中に知性と呼べるものがなければ、それを悲しく思うこととなる。そして、そうした無知の原因を作り出した過去を後悔するのだ。
 人間の無知を作り出すのは、これまでの楽観主義や怠惰な生活に他ならない。また、そこには趣味や娯楽の選択も深く関わっている。

Doomsword




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 世界の過激音楽は、特に常識的な大人たちや保守層、高齢者たちから嫌悪され続けてきた。そういった権力者たちは、過去に様々な力を使い、ヘヴィメタル・シーンに圧力を掛けた。そして、強い影響力を持った有力者たちの影響で、社会の中には、ヘヴィメタルに対する誤ったイメージが定着した。
 現在、ヘヴィメタルを取り巻く環境は、以前よりも遥かに良くなった。しかし、それでもなお、保守層や高齢者たちはこの音楽のジャンルを認めておらず、一方的な感情で嫌悪し続けている。また、そうした人間たちが、ごく普通のヘヴィメタルのファンたちに対して抱いている第一印象が"きちがい"である。
 この"きちがい"とは、一般的に異常者(サイコパス)や狂人などを指す言葉であり、その用途は様々である。
 過激音楽を敵視する大人たちは、ヘヴィメタルのファンたちに向かって、はっきりとした差別や偏見の意味を込めて、この言葉を口にしている。そういう人間たちにとって、"きちがい"とは、常識を理解できない存在であり、社会不敵豪奢に他ならない。

トゥーム・オブ・ミューティレイテッド




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 人間が音楽を聴く時には、そこにリラックス効果や楽しみなどを期待することが多い。こうした目的は、そこでヘヴィメタルという音楽を挙げた時には大きく変化する。
 一般的にヘヴィメタルのファンたちが求めているのは、自由の獲得や意思の解放である。そして、そこに加わってくるのが感情の爆発だ。
 常に抑圧された環境で過ごしている現代人たちは、このどうしようもない感情の捌け口を求めてる。結果的に、それはヘヴィメタルという音楽の中に、見事に叩き付けられている。
 ごく普通の人間なら、理不尽な現実や一方的な人間関係などに怒りを感じるのは当然である。それを感じない人間たちは異常だ。
 しかし、実際のところ、世間の人間たちは、ヘヴィメタルのファンたちを指して、「それを聴くのは異常だ」と言う。彼らの現実の中では、こうした過激音楽に関わっているファンたちは、例外なく"きちがい"なのである。"きちがい"の定義とは何だろうか。

Beneath The Remains -Remaster-




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