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 人間が音楽を「良い」と認識するためには、個人的な感情や判断基準が関わってくる。例えば、聴いている音楽が自分の趣味に適していれば、それを「良い」と感じるのは自然なことである。
 しかし、現代にはラジオやテレビCMなどから流れる音楽が溢れており、大衆は無意識のうちにそれらを耳にしている。それは生活をする中で自然なことだが、やがて音楽に対する判断基準に歪みが生じてくる。
 なぜなら、徐々に人間は何度も聴いている音楽を「良い」と認識してしまうからだ。何度も聴いている音楽とは、それだけ多くの人々が知っているものである。つまり、他人が知っている楽曲は「良い」のだ。
 こういった人間の曖昧な部分を上手く利用しているラジオやテレビCMなどは、純粋な音楽ファンにとっては極めて害悪な存在である。なぜなら、組織的な力を持ったレコード会社の圧力や指示などで、ラジオやテレビCMなどは簡単に操作できるからだ。
 残念ながら、一般リスナーに大希望なビジネスと化した、今の音楽業界を変える力はないのである。それどころか、一般リスナーたちはラジオやテレビCMなどから流れる音楽を、自然に耳で追い求めるようになっている。

ピース・セルズ...バット・フーズ・バイイング?




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The Heavy Metal And Noise Problem.


騒音サイコパス 1: 兄のヘビメタ騒音で人生がない



ヘヴィメタルと人間の人生
 現代の社会の中では、人間たちが普通に多種多様な音楽と接しながら生活を送っている。しかし、そういった個人を取り巻く環境は、様々な要因で変化していくものだ。
 エイリ氏のエッセイ『騒音サイコパス 1: 兄のヘビメタ騒音で人生がない』には、家族の齎す騒音によって、如何に本人の人生の価値が損なわれてきたのか、ということが書かれている。また、その内容は極めて現実的なものであり、本書には筆者の痛烈なメッセージが込められている。
 『騒音サイコパス 1: 兄のヘビメタ騒音で人生がない』が取り上げている内容は、筆者の兄が長時間に渡ってヘヴィメタルを聴いていることで、それが騒音へと変化しているという現実である。この問題は、個人的なものだが、その背景には、筆者の精神状態や家族との関係が存在している。
 筆者がこういった状況へと陥った経緯は、ヘヴィメタルのファンたちも無視できないものがある。そこには、ヘヴィメタルが音楽としての本質を失い、騒音として機能する生活がある。
 また、この『騒音サイコパス 1: 兄のヘビメタ騒音で人生がない』は、そういう環境が作り上げられる従来の社会や家族という仕組みの欠陥も指摘している。つまり、ここでは、無責任な親たちが勝手に生み落とした子供たちが、与えられた環境から逃れられない現実に直面しているということである。
 実際のところ、健全な人間たちが騒音問題から逃れるためには、住む場所を変える、家に防音工事をするなどの選択肢があるが、最初から何の力も持たない無力な子供たちは、そういうどうしようもない現実の中に居続けるしかないのである。そして、自らがその問題に気付いた時には、既に長い時間が流れている。
 いつの時代も、本当に苦しんでいるのは非力な子供たちだ。そういう子供たちは、親から与えられた環境に満足するしかないのである。


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 大橋大希氏が『METAL EPIC』や個人の小説の宣伝のために開始したツイッターだが、エピック・メタルに関係したツイートに予想以上の反響を頂いた。日本のツイッターの中では、最新のヘヴィメタルの情報もユーザーたちによって交換されており、常に有益な知識を得ることが可能となっている。私たちはそういったコミュニティには全く知識のない状態で参加したが、意外にもヘヴィメタルに関係するツイートをしているユーザーは多かった。そこにエピック・メタルという、あまり聞き慣れない言葉をぶち込んだ今回のツイッター利用は、結果的に『METAL EPIC』の企画としては成功だったように思う。ツイッターのユーザーたちからは、初めてエピック・メタルを知ったというツイートを幾つか頂いたし、同時に大きな興味を持ってくれたようだ。ここから分かったことは、エピック・メタルのサブ・ジャンルがまだ日本では浸透していないという現状である。当然のように、私たちは今後もツイッターやこの『METAL EPIC』でアンダーグラウンド・シーンのエピック・メタルを広め、資料の作成や作品のレビュー、最新情報などを更新していくつもりだ。その中で、やはりツイッター利用という部分は大きいと感じた。なぜなら、今の日本では仕事の会議中でも数秒でツイートすることができるし、携帯機器はあらゆる人間の生活必需品になっているからだ。そういった環境の中で、エピック・メタルの拡大を目的とするなら、これらのコミュニケーション手段は大きな可能性を秘めていることになる。正直なところ、私たちも難しい資料やコラムを書いてブログのアクセス数が上がらないのなら、手軽なツイッターでエピック・メタルを広める方を選ぶだろう。

2014年9月、『METAL EPIC』編集部


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 これ以上MDを買う必要はなくなった。長いことMDに頼ってきたが、結局CDでヘヴィメタルを聴くのが最も適しているのだという結論に辿りつくのである。MDは確かに優れたものであった。今ではすっかり廃れてしまった商品だが、この小さいディスクのために様々な場所で音楽を楽しむことが出来た。インターネット上でMP3音源がダウンロードできるようになった今日では、これらの役目は終わりを告げようとしている。時代に取り残された品々が陳列された社会というコミュニティの中で、どうやらレコードやCDだけは生き永らえる傾向にあるようだ。音質的に最もレコードが突出しているが、それに次ぐのがCDであろう。お気に入りのCDを大切に保管し、MDに書き込んで聴く、という考えはもはや過去のものとなったのである。
 年老いた者ならば誰もが考えることであるが、もっと人生を謳歌していればよかったと思うであろう。ならば音楽も最高のもので聴きたいというのが当然の欲求である。それが私の場合はCDであり、MDを棚の奥にしまい込むことなのだ。CDの膨大なコレクションは使用してしまっては価値が劣ると考える向きもあるであろうが、我々は『指輪物語』のエルフとは違い定命の時間を生きている(ここで言いたいのはコレクションなど木乃伊には何の価値もないということだ)。最良の方法を探すことは自然法則に乗っ取った行動である。そして音楽にとっての最良の方法とは、MP3ではなくCDを用い、整えられた機材で静寂に浸りながら拝聴するということなのである。


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 時代を経て、白黒のスクリーンは3Dの立体的な映像を映し出すようになった。VFX(*)やCGの斬新な仕事は映像をよりリアリティのある視覚的なものへと変化させ、不可能な表現が可能となった。頻繁に"映像革命"が起こり、ダイナミズムを極めた映画が生み出された。戦後の人々にとって映画は唯一の娯楽であったが、時代が平和になるにつれ、映画の描く世界観も変化していった。単なる娯楽的な内容は徐々に薄れていき、壮大な思想や文化、社会的メッセージを含むようになったのである。 
 太古の神話や伝承がそうであったように、エピックメタルで映画作品が題材とされるのは常であった。彼らは映画の真実味のある内容に目を付けたのである。題材となったのはヒロイックな内容を含む一連の作品群であった。主に『Conan the Barbarian』(1982)、『Highlander』(1986)、『Gladiator』(2000)、『The Lord of the Rings』(2001)等がエピックメタルの歴史で実際に用いられた。これらは過去の世界や異なる世界に遡り、現代と比較することで人類の世界を再確認するというものである。また、人類が見逃しがちな神秘に目を向けるきっかけとなる内容も持ち合わせていた。彼らは映画における変化に気付いていたのである。
 映画における変化は、西部劇に顕著に表れた。ジョン・フォードに代表されるアメリカの正統派西部劇(Classic Western)は、正義の保安官が悪のガンマンを倒し、町の秩序を守るという勧善懲悪であった。イタリアのセルジオ・レオーネを代表とするマカロニウエスタン(Spaghetti Western)の登場は画期的であり、アメリカやメキシコの黒歴史を描き、人間の本質を射抜いていた。レオーネ作品での西部劇が娯楽を超越した方向性を見出していたことは明白であった。アメリカの人々は決して勧善懲悪には収まりきらない西部劇に驚愕した。50年代から60年代にかけて西部劇は変化し、内容は著しく視聴者の感情を揺さぶるようになった。大衆は娯楽としての映画ではなく、思想や啓示の発信源、異文化の触れ合いを目的として映画を捉えるようになっていったのである。
 21世紀の映画作品は、根底的な人間性に訴えかけるものが多くなった。真実を追求しているのである。それはどの作品にも顕著であるが、巨額の製作費を投じたハリウッド作品ですら、スペクタクルなその方向性を見出している(ハリウッドが手掛けた『Ben-Hur』(1959)はその先駆けである)。人々が映画に求めるテーマが変化していった結果、映画の描く世界観は深淵になったのである。「映画は娯楽のみではない」この思想は音楽にも共通するものである。


*Visual Effectsの略。CGとは異なる非現実的な視覚効果を表現する際の技術力を指す。『スター・ウォーズ』、『ハリー・ポッター』を手掛けたILM社が有名。
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 一部の例外を除き、ヘヴィメタルはあまりヒットを飛ばさないという実績がある。それはCD売上やMP3ダウンロードにまで及び、時にはサイトのヒット数に影響を及ぼすこともある。コンテンツ(内容)が如何に充実してようとも、ヘヴィメタル系のサイトは伸び悩んでいるようだ。かつて商人によって取引された高値の金銀細工のように、価値を見定めることが出来なければ、自ずと客足は減り需要がなくなっていく。ヒットとは万人が認めるものに起こる現象である。
 私も本ブログ"通称エピックメタル専門ブログ"を開始するにあたり、ある程度のヒット数は切り捨てた。エピックメタルがそうだったように、地下でひっそりと活動することを選択したのである。考えて見てほしい。影の世界──ある者はカルト世界と表現する──で脈動し続けてきたこれらの分野が、現在まで生き永らえてこられたのは何故かという疑問に。
 その答えは、宗教にヒントがあるとみて良いだろう。世界各地の秘境に未だ残る民族部族間の異端崇拝がその最もな例である。それらの宗教は、悠久の太古から世代を超えて受け継がれてきた。恰も、かの有名な『スター・ウォーズ』の一子相伝のシスのように。ならばこの法則が、エピックメタルという分野にも適用されるのではないだろうか。私はその可能性を熟考した。少数派の思想や文化が何世紀も生き永らえるためには、一子相伝の方法で、なおかつ厳重に守護していかなくてはならない。つまりは、普遍的な大多数の民衆よりも、堅実で知的な者の方が伝達者(Herald)としては適しているということに繋がる。彼らは俗にアウトサイダーと呼ばれたり、支配的5%と呼ばれることもある。彼らが多数派に紛れることは少ない。カルト的なごく少数の中に、その者らは隠れ潜んでいる。そうした人物を見出すために、何を選択すれば良いのか……。博学な『METAL EPIC』の読者なら、既にお気付きだろう。


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 エピックメタル界には、興味深く、好奇心に駆られる話が山のように眠っている。その殆どが地下で語り継がれている陰惨なものであるが、その一部ですら光を浴びるということもまずない。私が今回話すのは、アイアンメイデンの不朽の名作『Powerslave』(1984)と、ヴァージンスティールの歴史的な傑作『The Marriage of Heaven & Hell, Pt. II』(1995)に隠された逸話である。ヘヴィメタルとエピックメタル双方にとって重要なこの大作には、実に興味深い共通点があったのだ……




Powerslave

 イギリスを拠点に活動を続けるアイアンメイデンは、これまでに夥しいほどの名作を世に残してきた。彼らの活躍がなければ、英国チャートの上位をヘヴィメタルが占めるなどという歴史的な事件は起こりもしなかっただろう。ヨーロッパで最も成功を収めたヘヴィメタルバンド、それがアイアンメイデンである(そして、もう一方の"ヘヴィメタル大国"アメリカで最も成功を収めたヘヴィメタルバンドはメタリカだった)。
 若かりし日のアイアンメイデンが1984年に発表した第5作『Powerslave』は、現在でもヘヴィメタル史上に名を残す、名作中の名作である事実は揺るぎない。このアルバムを傑作とするファンならば皆口を揃えてこういうものだ「このアルバムは冒頭の2曲、"Aces High"と"2 Minutes to Midnight"に尽きる」
 ヘヴィメタル屈指の名曲を2曲も取り揃えたこの豪勢なアルバムには、始めてアイアンメイデンの世界に踏み込むファンも衝撃を受けた。更に、冒頭の2曲という選曲が途轍もないインパクトだったのだ。傑出した冒頭の2曲……僅かながら、熱心なヘヴィメタルのファンはあるエピックメタル作品に思い当たった。


Marriage of Heaven & Hell Part 2

 "エピックメタルの帝王"と称され、芸術的なエピックメタル作品を世に送り続けてきた唯一無二のマエストロ、デヴィッド・ディフェイ(Vo)率いるヴァージンスティールが1995年に完成させた傑作『The Marriage of Heaven & Hell, Pt. II』。本作がエピックメタル史上に残る名盤であることは疑いようがない。壮大な叙事詩的作品であるこのアルバムは、収録された楽曲から神話的な世界観に至るまで、ありとあらゆる個所が優れている。エピックメタルファンは、本作を聴くことを義務付けられている。
 このアルバムには永遠の名曲"Emalaith"──私が最も称賛するエピックメタル曲──の他に、先述したアイアンメイデンの『Powerslave』と同様、アルバムの冒頭2曲に素晴らしい名曲を配している。"A Symphony Of Steele"と"Crown Of Glory (Unscarred)"という劇的な名曲がそれであり、エピックメタルのファンはこの冒頭の2曲を指して言うのだ「"A Symphony Of Steele"と"Crown Of Glory (Unscarred)"は、エピックメタル史上最高の2曲だ」
 これで、アイアンメイデンとヴァージンスティールの奇妙な共通点がお分かりになったことだろう。この冒頭2曲の構成は、どうにも『Powerslave』に似すぎている……なんという偶然──ディフェイ本人がアイアンメイデンを意識していなければの話であるが──の産物だろうか!願わくば、ヘヴィメタルとエピックメタル、両世界屈指の名曲を是非とも聴き比べて頂きたい次第である。


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セイント・アンガー

 途方もない"衝撃"は、ヘヴィメタルファンにおける一種のカタルシスの大部分を担っている。幼い精神に与えられたヘヴィメタルの重厚な旋律は、さぞ衝撃的なものだろう。キリスト教世界おける洗礼のように、私達ファンはヘヴィメタルの荘厳な洗礼を受けたのだ。このメタリカの『St. Anger』(2003)にしても、未熟な若者が聴くにはあまりにも衝撃が大きすぎる。
 「怒りの聖人が首にかかる。全部クソ喰らえ」タイトル曲が放つ途方もない衝撃に、まだ幼かった私は茫然と直立することしかできなかった。彼らの訴えようとするメッセージがあまりにも重すぎ、そして真実味を帯びていたからだ。現実を遥かに凌駕する"衝撃"がここにはあったのだ。
 しかし、メタリカは決して現実逃避主義者ではない。現実の矛盾と眼前で直面し、私達にメッセージを告げてきた。どこまでもシリアスで無駄が一切ない。それがメタリカの作る音楽だった。メタリカの妥協しないスタイルは、捨て曲で犇めく商業音楽界へのある種の返答であるかもしれない。以後、ヘヴィメタルにおける捨て曲は皆無となり、常に途方もない"衝撃"を与える特異な音楽へと変化していったのである。


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 今日は苦い思い出を語らせてもらおう。まだ私が10代の頃、ところ構わずにエピックメタルのアルバムを発掘しては、中身を確認せずに購入していた時期があった。アルバムのジャケットや、バンドのコンセプトなどから興味を持ったメタルを入手しようと励んでいたのだ。
 フィンランド出身のエピックパワーメタル、Battlelore(バトルロー)とはその時に出会い、私に考えを改めさせたのである。私の好きなヘヴィメタルのサウンドは、昔から変わっていない。エピカルでヒロイックなヘヴィメタルならいかなるバンドでも興味の対象である。私が当時購入したのは、バトルローの2nd『Sword’s Song』(2003)であり、インターネット技術をまだ所有していなかった私は、CD店に取り寄せてもらった。当然、現在のユーチューブのように変幻自在にヘヴィメタルを視聴できるわけではなく、私の情報源は雑誌のみだった。そこで触れられていたバトルローのレビューが非常に興味をそそる内容だったのを今でも覚えている。メンバーのファンタジックなコスプレも効果的に作用した。サウンドは、トールキンの作品を題材にしたドラマティックなものであるという。エピックメタルファンなら食いつかない手はないではないか。
 そして、いざ箱を開けて見ると、貪欲な私ですら幻滅するサウンドだった。私の期待を裏切るチープなサウンドは、若い私には衝撃的だったのだ。それ以来、私は今もこの悲劇的なエピックメタルアルバムを封印したまま、机の何処かにしまってある。バトルローが決して劣悪なヘヴィメタルバンドというわけではない。ただ私の肌に合わなかっただけなのだ。この文章を読んでいる者も、一度はそういった経験があるのではないだろうか。ヘヴィメタルは、ラジオやテレビで取り上げられる音楽ではないため、アルバム購入の半分は綱渡りなのである。むしろ良い経験をしたものだと、バトルローには感謝しなければならないだろう。これもヘヴィメタルファン特有の経験談なのだから。いつかこのアルバムを再び視聴し、私が何を感じるのか、それも面白い。以前書いたように、"ヘヴィメタルの再発見"は頻繁に起こる出来事であり…。しかし、このアルバムに迂闊に手を出してはいけないと、私は勝手に思い込んでいる(笑)。

▶「Sword’s Song」(2003) Battlelore
SWORD’S SONG



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 音楽すらも情報社会と化しつつある現状が、凄惨なCD離れを引き起こしている今、私達は何かを見失って久しい生活を送っている。町を歩けば多くの人間がヘッドフォンを耳にし、携帯電話で楽しく音楽を聞いている。余りにも見なれた現状だが、そこにある落とし穴に私達は気付いていない。彼らは音楽をCDではなく、インターネットを通して得ることの出来るデータで購入する。効率的で即効性のある市場体制は、私達に「手軽な音楽」を配給した。しかしそこで私達は何を見失っていったのか、検討していくこととしよう。

 私達がレコードやCDを聴いていた時代、それは古き良き時代だった。音楽自体が重みのある生活の一部であり、聴者も制作者も真摯だった。私達はいずれかのバンドや作曲家のファンになり、店舗や中古店でCDを探す日々だった。望むものが手に入る時代ではなく、苦労だけがそれに応える結果を幾分かだけ勝ち得た。そして念願のCDやレコードを手にした幼い私達は、希望が達成された時に得る尊い達成感──それは苦労した者のみが手にすることのできる──を味わったのだ。しかし変化は早急に訪れた。次々に人間の科学は向上し、人的な行為が機械の動作に移り変わった。それらは人間の労働を激減させ、さらなる発展を遂げようと邁進していった。人類の技術力の進歩は驚異的であり、古き時代から着実に積み重ねられてきた努力を一瞬のうちで消化した。加えてインターネット、つまり情報の拡大は凄まじいまでの速度で世界を支配した。そして人々も、当然それに魅了された。便利なものは積極的に利用する、人間の本質的な動作だった。触発された情報社会は更に飛躍、遂にはあらゆるものがインターネットで手に入るようになる。私達はそれを喜ぶ以外の表現を知らなかった。
 音楽が情報化されたのもこの頃だった。MD、テープ等の録音技術も画期的ではあったが、やがて登場したパソコン並びに「iPod」は、それまでの音楽社会を徹底的に打破するものだった。インターネットで販売されるデータを購入することが可能な音楽プレイヤーの発売は、世界中の人間に驚異的な速度で浸透した。更にそれらの機器は、驚くほど小型化されていた。ここでCDを持ち歩くという古い習慣は終わりを告げたのである。加えてそれは、CDが撲滅される可能性を示唆していた。画期的だったのは他にもある。パソコンを通して閲覧できる無料動画サイト等のダウンロードは、簡単にアーティストの音源をCDなしで入手することを可能とした。日々、ユーチューブ等の世界的な規模を誇るサイトから、個人経営の小規模なサイトにまで及び、音楽の"無料"ダウンロードは行われている。好きなバンドの音楽を無料に、更に迅速に入手することが出来る時代になったのだ。古い時代を思い出すと、まさに夢のような時代が到来したことが分かる。私達は理想を技術で買い取ったのだ。
 真実、レコードの音質が最も良いものだった。次にCDが入り、かろうじてMDも劣化はしていない。アーティストが苦労したCDやレコードには、──生にはかなわないが──本物の音質があった。しかしCDにしろMDにしろ、収録時間には限界があった。CDは80分が限界である。なぜそうなのか。理由は簡単だった。ほとんど圧縮をしていない。MDは私の知る限りでは、4倍まで圧縮ができ、収録時間を4倍に出来た。だが「iPod」は違っていた。薄いチップに途轍もない量を内蔵できる。進化した圧縮技術の勝利だった。驚くほど小さい本体に、大量の音楽データ、利用しないはずはなかった。人類は何と便利なウォークマンを開発したのだろう、それが私達の意見だった。事実、パソコン、「iPod」の音質はCDの1/10に劣化しているが、聞くに違和感はなかった。それは微小な、繊細な聴覚器官の問題であり、誰しもその事実は考慮しなかった。「iPod」、ウォークマンで使われるAACは、「MPEG-4 AAC」なんとMP3より1.4倍ほど圧縮効果があった。そこから導き出される答えは、果たして何を意味しているのか。おこがましいが、私は「iPod」を持っていなければ、インターネットで音楽をダウンロードしたこともない。いや、しようとも思っていない。まさに"時代遅れな"人間として嘲笑されるだろう。


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 以前、「平坦な日常の中にあるヘヴィメタルとは」という記事で、私の日常に少し触れた。その中では、私が日常でヘヴィメタルとどういった出会いをしているのかが、ユーモアを交えながらいつもの謙った口調で書かれている。しかし文章とは不思議なもので、書いた産物を残して筆者の記憶には残りづらいらしい。その証拠として、私は再び日常を意識せずに過してきた。書くようなことは沢山あるように思う。私は物事を書くのが好きなのだ。そう、既に「METAL EPIC」に記録されているコラムやレビューを見た方達はお気付きかもしれないが、私の書く文章は長い。小説ほどではないにしろ、文章を書き始めると延々と長くなってしまうので、途中で唐突に終わる場合もある。短い文章を書くことが難しいのだ。また、それと同時に、短い文章に自分の考えを全て押し込むことが出来るのか、という思いもある。人に何かを伝えようとした場合、文章というものは簡単にはならない。もちろん、これとは全く逆の場合があるということも考慮しておかなければならないが、私は前者の方を信じている。
 ふとここで考えるのは、文章は個人的な産物なのか、という疑問である。レビューにしろ、客観的な考察を心掛けることが重要視されるのは必至だが、「あくまで音楽は好みなので」という理由から主観が交じることは否めない。これこそ正しい意見で、音楽など自由な発想から生まれる知的な産物は、"好み"という波長によって価値が左右される。そしてその価値を決めるのは、私たち一人一人によって異なってくる、ということだ。メタルに様々な種類があるのは、こうした「個性」を重視していった結果に他ならない。個性は音楽以前に人間にとって重要なものなのだ。

個性の塊
C.B
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■経済的な側面からヘヴィメタルを見た場合、私達はどういった経緯でヘヴィメタルを購入しているのか。今回は効率的なヘヴィメタルの購入方法と、その需要について考慮してみる。



 まずヘヴィメタルを購入するかと思い立った時に、私達メタルファンは大きな壁にぶち当たる。廃盤と国内未発売である。世界的にメジャーではないマニアックなメタルバンドを求めるファンを長年苦しめてきたこれらの要素は、依然として猛威を振っている現状が続く。1つ目の廃盤は、年代物のCDにもなると殆ど有名店でも取り寄せが不可能となってくる。しかし、その解決策は幾つもある。ここばかりは、ネットという現在の情報社会を大いに利用しない手はない。最も大きな解決策としては「輸入盤」の購入が確実といえる。ヘヴィメタルの需要が少ない自国ではファンが辛酸を舐めがちだが、それは日本に限ったことである。世界的な市場を獲得する欧州やアメリカなどの大国では、日々名作に紛れてマニア向けの希少なCDさえもが、名もないレーベルの努力によって再版されている場合が多いのである。また再販は、リマスターやボーナストラックが含まれることがあり、廃盤を敢えて買うよりはこちらの方が好ましい。問題は輸入盤の入荷のタイミングだが、海外から配送される場合、日本への到着は2週間以上待たなくてはならない。メタルファンには常に忍耐力が求められるのだ。ここで、輸入を既に終え在庫を販売するアマゾンやHMVなどの店舗への期待が寄せられるが、在庫がない場合はオークション等で購入するしか道は残されていない。中古CDショップを探すという手もあるが、余程の運がない限り貴重なメタルCDには出会えないはずである。しかしアマゾンの便利性は非常に高く、多くのメタルファンがここを通して輸入盤や国内版のヘヴィメタルのCDを購入している。正直私も殆どのCDをアマゾンで購入している。アマゾンの抱える在庫は、海外のメタルCDも含め国内最大だろう。更に、カードを持っていれば購入が非常にスムーズに行われるという長所も付け加えられる。そんなアマゾンの中で、ヘヴィメタルマニアに対し最大の貢献を果たしてきたのが「amazonマーケットプレイス」だ。ここは出品者が様々な値であらゆる物品を取引している場であり、国内的に需要の劣るヘヴィメタルのCDは破格の安値で手に入る。中には1円のメタルCDも少なくない(基本的に200円~の送料がかかるので結果的に1円ではないが)。ここで注目したいのが、海外のユーザーからの出品があるということである。これはほぼ個人輸入に近い。要は日本で入手困難なヘヴィメタルのCDが海外の出品者から購入できる訳である。この制度を上手く使うことで、殆どのメタルCDは事実上手に入る。これは、2つ目の国内未発売という問題にも明確に対処している。しかし欠点としては、カード決済が必要となってくる点である。若いメタルファンに是非活用してもらいたいこの「amazonマーケットプレイス」ではあるが、クレジットカードという決裁方法は些か荷が重い。ネットでのカード決済の便利さは既に実証済みだが、それは大人に限られている。
 最悪の場合、資金難のメタルファンにはレンタルのみの選択肢しか残らなくなるということについても考えていこう。よく考慮すべきなのだが、最悪の手段は最高の手段に成り得るということだ。まず若いうちにツタヤのヘヴィメタルコーナーを片っぱしからレンタルし、基礎を抑えておく。レンタル店で手に入るのは、具体的にはアイアンメイデン、メタリカ、メガデス、ジューダスプリースト、ディオ、ブラックサバス、ハロウィン等のメタル史における基本中の基本のバンド達だ。私はメジャーなメタルバンドのCDは、よほど気に入った場合を除いて購入する必要がないと思っている。なぜなら国内でも、先述したようにレンタル等で苦労せずに視聴できるからだ。私が購入するのは、財政的に厳しい状況のマニア向けのメタルバンドのCDが殆どである。本当に国内では入手困難なメタルのCDこそ、手に入れる価値があるのだ。自分の未知の音源への探求心や好奇心もそれには少なからず含まれている。自分だけのメタルバンド、そういったものを探しているのかもしれない。よくいうように真実とは、人目に隠された場所に眠っているものだ。しかし私が、世界的なメタルバンドを聴かないかというとそうではない。メイデンなどは私の最高のお気に入りのメタルバンドの一つだ。私が重視しているのは、いかに隠れた名盤を発掘するかということであり、そのために海外の市場に目を向けているのである。国内の狭義な市場では、いずれヘヴィメタルの需要には限界が来る。既に国内では、数えきれないほどの偉大なメタルバンドの国内発売が見送られている。事実は多岐に渡るが、結局は"売れるバンド"が求められるということである。日本は特にその傾向が強くメタル市場に影響している。私個人としては、8thから国内発売が見送られたヴァージンスティール、同じく5thのみのバルサゴス、国内発売されてもおかしくないクオリティを誇るが依然として見送られているムーンソロウやサウロムに成された仕打ちが残念でならない。しかし、その結果のみで私達の探求心が消失するかというと、そうではない。



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■今までメタルの精神面等内面を多く紹介してきたが、今回は外見的なことについて触れてみよう──

 メタルのファッションには大きく特徴がある。その代表的なものが、レザージャケットである。元々レザージャケットはバイク乗りに重宝されてきたが、メタルの誕生から徐々にヘヴィメタルのファッションとして定着していった(更にここでは、バイクとメタルの関係性が深いということも付け加えておこう)。それに関しては、ジューダスプリーストの貢献があまりにも有名だろう。レザーにスタッズはヘヴィメタラーとしての正装なのである。それらの魅力は非常に大きい。そもそも黒という色が、ヘヴィメタルのイメージを物語っている。白い色は相手に好感を与えると心理学の分野でも囁かれているが、もしそうだとしたら反対色の黒は……と考えれば自ずと答えが出てくるはずである。ヘヴィメタルの精神性(やはりメタルという音楽では、いかなる場合でも精神面とは切り離せない)を最も外見の面でよくあらわしているのが黒い衣服であり、それはヘヴィメタルのテーマでもある「死や破滅、邪悪さ」とも結びついているのである。最もそれらは正統派的なメタルバンドに当てはまるにすぎない。今ではヴァイキングメタル、ブラックメタル、シンフォニックメタル、エピックメタルなど様々なジャンルから生じているヘヴィメタルだ。その定着的なレザーファッションに加え、特異なメタルバンドは更に独自性を持ったファッションを有している。ブラックメタル等のゴシックファッション(驚くことに、ここでも黒い服が悪魔のイメージと関連付けられて用いられている)等が主に当てはまるが、それについてはまた今度触れよう。とりあえず、ある程度外見に気を使うメタルファンならば、レザージャケットやレザーボトムで身を包んでみてはどうだろうか。もちろん、ヘヴィメタルの精神性を無視して外見ばかりを吸収してしまっては、メタルファンとして本末転倒になるのだが。大方、そこに関しては賢いメタルファンなら心得ているはずである。最後に、参考として私の着用しているレザージャケットを乗せておこう...


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 両方とも私が改造を施したメタルレザージャケットである。市販されているスタッズをバラで購入し、それをジャケットに埋め込んである。スタッズはメタルの必須アイテムだが、こういったように手軽に革製品に埋め込めるので非常に便利である。しかし私は埋め込むのに途轍もない疲労と指の痛みを誘発した(笑)。又ほかには、ロック系のピンバッジを付けたり、ウォレットチェーンを装備したりと独自のアレンジが出来るので、メタルファンらしく個性に溢れたジャケットを作ることが可能である。問題は、あまりにも個性的で街を歩く際に危険だということである。
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