Epic Metal; Review Fan Site.
© 2010-2017




Introduction

Robert_E_Howard

「エピック・メタルとは、叙事詩的なヘヴィメタルの総称であり、主に大仰かつ劇的でヒロイックな音楽性を示す言葉である」 [More stats] 

 ──Cosman Bradley


◆新着情報 News Topics
[Reviews]
VALKYRIE 「Deeds of Prowess」
WRATHBLADE 「Into the Netherworld's Realm」
VIRGIN STEELE 「Nocturnes of Hellfire & Damnation」
[Release]
Jack Starr’s Burning Starr 「Stand Your Ground」
Cirith Ungol 「King Of The Dead」
Manilla Road 「To Kill a King」

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

The Extreme Fashion Style.


tumblr_lmfu46gemX1qit2lso1_500.jpg

"攻撃的ファッション"はダサいのか?
 ヘヴィメタル・ファッションの中には欠かせないアイテムがある。それは鋭利なスタッズやバンド・パッチなどである。ファンたちはそれらをGジャンやレザージャケットなどに取り付け、ライブ会場や街中に現れる。
 しかし、常識のある一般人なら、過激なヘヴィメタル・ファッションに身を包んだファンたちを「痛い」と感じるのが普通だ。実際にファンたちが身に着けているアイテムは、80年代のバイク/ロック・カルチャーから影響を受けたものが殆どである。
 例えば、ヘヴィメタルのファンたちが好むGジャンやレザージャケットのスタッズ加工も、80年代の音楽シーンの存在なしでは語ることができない。また、それらもかつてのロッカーズやイギリスのゲイ・ファッションなどから影響を受けているのだが、一般人ならオリジナルを知らなくても当然である。
 そして、健全な一般人たちが、ヘヴィメタルのファンたちの"攻撃的ファッション"を目にした時、ドン引きするのが自然な反応というものだ。特に日本という国は、ヘヴィメタル・カルチャーの浸透が世界的にも遅く、一般人たちもそうしたものに免疫がない。結果として、見慣れない過激なヘヴィメタル・ファッションに驚くのである。
 また、日本人たちの場合は、「痛い」と思われる服装をした相手を指して、それを笑う傾向がある。当然のように、そこに"攻撃的ファッション"への理解はないのである。これらは見た目が面白いから笑うのだ。
 実際のところ、ヘヴィメタルのファンたちによる"攻撃的ファッション"には深い意味があり、単純な気持ちから過激なアイテムを身に着けている訳ではない。ファッションとは人間の内面を表現したものだ。そう考えると、"攻撃的ファッション"の本質も見えてくるのである。


▼続きを読む
スポンサーサイト

The Rebel Fashion Style.


hqdefault.jpg

基本的に"利用できるモノなら何でも"
 一般人たちがファッションの中で追い求めるモノは、何時の時代も同じである。
 例えば、一般人たちは、有名ブランドやファッション・モデル愛用のアイテムが大好きだ。そういうアイテムには、強いブランド力と影響力が備わっている。
 問題点を挙げるとすれば、"芸能人御用達"アイテムは、目が飛び出る程に高いモノばかり。しかし、買った本人が満足できるなら、商品の値段は関係ない。
 殆どのヘヴィメタルのファンたちは、基本的には、常に金がないという悩みに直面している。
 例えば、ロック・ファンたちから人気の高い有名ブランド──クレイジーピックやガボールなど──のアイテムには、当然のように手が届かない。
 しかし、従来のヘヴィメタルのファンたちが大切にしてきたことは、ノーブランドのアイテムを積極的に使うという部分。ノーブランドのリングやネックレスなら金が掛からないし、優れたデザインのアイテムは沢山ある。
 唯一の問題点は、この世の中には、ブランド品以外を本物のファッションだと思わない人間たちが大勢いること。当然のように、若い世代のヘヴィメタルのファンたちは、そういったブランド至上主義の大人たちから、常に見下されてきた。
 現在でも、有名人やファッション・モデルたちに憧れて、無理をして高いブランド品を買い漁る客層は多い。そして、自らの無駄遣いに気付いた時には、破産へのカウントダウンが始まっている。
 高いブランド品のアクセサリーを買う金はないが、世界中のヘヴィメタルのファンたちには、独自のファッション・スタイルがある。貧困や反骨精神から生み出された独自のファッション・スタイルは、より身近な生活と結び付いている。
 詰まるところ、従来のヘヴィメタル・ファッションとは、決して無理をしないライフスタイルのことだった。


▼続きを読む
 過去の偉大なロック・ミュージシャンたちの人生を振り返ると、そこには必ず何かしらの"クズ・エピソード"が登場する。例えば、家族よりも音楽を優先したという話や、ギャンブルやドラック類に溺れていたという内容は非常に多い。
 世界的に有名なポップス界のスターですら、一般人たちの間では、そういった良くない話が囁かれている。これがロック・ミュージシャンの場合は、更に酷い一般人たちのイメージが定着している。
 実際のところ、従来のヘヴィメタルとはロックの発展型であり、その内容にも過激な部分があった。そして、一般人たちはロック音楽を嫌うことで、自らが真面目な大人であることを強調しようとした。言うまでもなく、その利己的な大人たちの犠牲となったのが、純粋なロック・キッズたちである。
 ロック・キッズたちは、必ず親たちから話があると言われ、ラウド・ミュージックに対しての様々な悪い出来事を聞かされる。そこで登場するのが、「ヘビメタ・ミュージシャンはクズ」という言葉である。正義感の強い親たちに言わせれば、ヘビメタ・ミュージシャンの殆どは、異常な麻薬中毒者であり、家族を見捨てるクズなのだ。
 しかし、本当の部分で、一般人たちは、ヘビメタ・ミュージシャンたちの素顔を知らない。別に知る必要性もないのだ。
 例えば、凶悪なサウンド・スタイルで知られるスレイヤーのトム・アラヤは、大音量のライブから家に帰ると、子供たちの一人の父親となる。トム・アラヤは、過去のインタビューの中で、必要以上に家族に気を使っていることを明かしている。見た目は恐ろしいヘビメタ・ミュージシャンでも、現実では家族との距離に悩む、一人の普遍的な人間に過ぎない。
 また、エピック・メタルの始祖、マニラ・ロードのマーク・シェルトンは、自らの子供たちを立派に育て上げた後、今は完全に趣味で音楽を演奏している。そこにあるのは、純粋に家族との時間を求めた普遍的な人間の姿だ。
 現代の中でも、ロックやヘヴィメタルという音楽は、外見的なイメージで様々な誤解を受けている。中には本物のサイコパスらしいミュージシャンもいるが、大抵は普通の人間だ。「ヘビメタになら何を言っても良い」という安直な時代は、既に過ぎ去っている。

ウォー・アット・ザ・ウォーフィールド [DVD]




▼続きを読む
 この世の中には、非常に汚い言葉があるが、人々はそれらを日常の中で使うことを躊躇っている。特に社会的立場のある大人たちは、必要以上にそうした言葉から避けるような生活を送っている。
 しかし、この社会が平等で美しいものなら、人間が「Fuck」、「Shit」、「Bitch」、「Asshole」などの汚い言葉を使う必要性はないのである。
 実際はどうだろうか。今の人々は、昔よりも遥かに「クソ」や「クズ」という言葉を乱用している。その背景には、一体何があるのだろうか。
 例えば、世界的なヘヴィメタル・バンドのメタリカは、「全てクソ食らえ」という表現を好んで使ってきた。自らのアルバムの評価に対しても、この言葉を使うくらいなのだから、本当に無意識のうちに出てしまう口癖なのだろう。
 また、「Fuck」という言葉の使用例を考えると、殆どのヘヴィメタル・ミュージシャンが日常的にこれを活用している。有名なヘヴィメタル・シンガー、オジー・オズボーンの口癖も「Fuck」であり、ファンたちはこの言葉を頻繁に耳にしている。
 一方、映画シーンでは、中年太りしたレオナルド・ディカプリオが、『ブラッド・ダイヤモンド』(Blood Diamond, 2006)の中で、「Fuck」と口にする姿が印象に残っている。かつて、美青年として人気を博したレオナルド・ディカプリオが、こうした汚い言葉を使う姿は、数多くのファンたちを戸惑わせたものだ。
 結局のところ、「全てクソ食らえ」というアティテュードは、人間が生きていく上では必要なものである。従来のヘヴィメタル・バンドたちは、世の中が本当に無情なことを理解した上で、この汚い言葉を発しているのだ。単純に世の中や周囲の環境が気に入らないから、汚い言葉を撒き散らしている訳ではない。

ブリザード・オブ・オズ~血塗られた英雄伝説




▼続きを読む

ナイジェル・サックリングの言葉(The Words Of Nigel Suckling)


著者:Cosman Bradley
編集:METAL EPIC


 ナイジェル・サックリング(Nigel Suckling)が『ヒロイック・ドリームズ : 英雄夢想語』(Heroic Dreams, 1987)の中で言及した、ヒロイック・ファンタジーとヘヴィメタルの共通点についての考察。


「野人コナンとヘヴィメタルの間には、目に見えるほどの差はない。双方とも勇敢に、敵対する世界を自らの手で征服する。ただそこで違うのは使用する武器だけである」

 ──Nigel Suckling



ヒロイック・ファンタジーとヘヴィメタルの共通点
Heroic_Dreams.jpg ロバート・アーヴィン・ハワード(Robert Ervin Howard)やマイケル・ムアコック(Michael Moorcock)などの作家が創造した壮大な世界を、もし視覚的に体験したいと考えるならば、『ヒロイック・ドリームズ : 英雄夢想語』は大きな役割を果たすはずである。ここに収められているのは、過去に活躍した華々しいファンタジー・アーティストたちの傑作群だ。
 この『ヒロイック・ドリームズ : 英雄夢想語』は、1987年に日本テレビが発行した大型本であり、かつてのヒロイック・ファンタジーの盛り上がりを体験するためには、正に至高の内容である。本書の中には、レス・エドワーズ(Les Edwards)、ジュレク・ヘラー(Julek Heller, 画像参照)、アラン・クラドック(Alan Craddock)などの有名ファンタジー・アーティストたちの作品が掲載され、それらは「コナン」、『火星』シリーズ、『永遠のチャンピオン』、『ベオウルフ』、「アーサー王伝説」、ウェルキンゲトリクス、ケルト神話、北欧神話、その他の中世・古代の英雄叙事詩などにインスピレーションを得たものとなっている。
 また、エピック・メタルのファンたちの心を揺さぶるのは、何も派手なイラスト集だけではない。この『ヒロイック・ドリームズ : 英雄夢想語』の中には、イギリスの作家、ナイジェル・サックリングが執筆した興味深い文章が掲載されている。この文章とは、ナイジェル・サックリングが過去のヒロイック・ファンタジー小説や英雄叙事詩を独自に考察したものであり、そこで指摘されていたのが、ヘヴィメタルとの共通点だったのである。
 詰まるところ、ナイジェル・サックリングが語るには、「コナン」に代表されるヒロイック・ファンタジーの世界観と、ヘヴィメタルが持つ精神性が、極めて似通っているというのである。この無限のヒロイック・ファンタジーの知識を持った作家が、当時のエピック・メタル・シーンを把握していたのかは分からないが、巧みに紡ぎ出された言葉は、驚くべきことに、殆ど真実を物語っている。
 例えば、コナンやゾンガーなどの野蛮な英雄──ナイジェル・サックリングの言葉を用いれば、"バーバリック・ヒーロー"──たちは、一振りの剣を武器として掲げ、広大な大陸の煌く諸王国を蹂躙していく。そこには、英雄(戦士)の敵となるべき邪悪な魔術師や魔物たちの存在があり、人々は圧政や虐殺に耐えながら、常に貧しい生活を送っている。
 同じく、世界各地で活動するヘヴィメタル・バンドたちも、ギターやドラムという現代の武器を掲げ、傲慢な大人たちや社会が繰り出す圧力や弾圧に対して、抵抗の声を上げている。そして、バーバリック・ヒーローとヘヴィメタル・ミュージシャンの背後には、常に熱狂的な信者(ファン)たちが付き従っているのだ。
 こうした図式を見る限り、──正にナイジェル・サックリングが語った通り──ヒロイック・ファンタジーとヘヴィメタルがやっていることの根底には、全く同じ血が流れている。だからこそ、現代のヘヴィメタル・ミュージシャンたちは、挙って過去のヒロイック・ファンタジー小説や英雄叙事詩などを作品の題材に選択する。
 "エピック・メタル"というサブ・ジャンルが誕生した経緯も、全ては過去の偉大な作家たちの筋書き通りだったのかも知れない。

{Sept 7, 2017}


▼続きを読む

The Epic Metal And Fantasy Art.


michael_whelan02.jpg

幻想文学の美しい絵画の世界
 エピック・メタルというジャンルに欠かせないのが、ヒロイックな作品を彩る幻想的なカヴァー・アートワークである。その美しく幻想的なアートワークがあってこそ、エピック・メタルのファンたちは、このジャンルの壮大な音楽の視覚的イメージが掴めるのだ。そして、当然のように、過去の偉大なエピック・メタル・バンドたちは、アルバム・ジャケットが持つ魔力を充分に理解していたのである。
 例えば、エピック・メタルの始祖であるキリス・ウンゴル(Cirith Ungol)は、わざわざファンタジー・アートの巨匠、マイケル・ウェーラン(Michael Whelan)に許可を求め──バンド側も最初は、フランク・フラゼッタ(Frank Frazetta)を使うことを考えていたのだが──、全てのアルバムに印象的な"シンボル"を登場させた。この"シンボル"とは、イギリスの小説家、マイケル・ムアコック(Michael John Moorcock)の名作『永遠のチャンピオン』(Eternal Champion)シリーズの中に登場する、混沌のマークやエルリックなどのことだった。
 また、"メタルの王たち"の異名を取るマノウォー(Manowar)は、"コナン・アート"で有名なアメリカのアーティスト、ケン・ケリー(Ken Kelly)とタッグを組み、強烈な印象を放つアルバム・ジャケットを生み出した。マノウォーの名作『Kings Of Metal』(1988)に描かれた、敢えて顔をはっきりとは描かれていない戦士は、後にバンドの"シンボル"となった。
 その他にも、世界各地のエピック・メタル・バンドたちによる、アルバム・ジャケットに情熱を捧げた逸話は、数多く残っている。
 メロディック・パワー・メタルやエピック・メタル・シーンの中で、既に馴染み深い存在となったドイツ人のアンドレアス・マーシャル(Andreas Marschall)は、無数の幻想的なアルバム・ジャケットを描いたイラストレーターの一人だった。アンドレアス・マーシャルが手掛けた有名なカヴァー・アートワークは、ブラインド・ガーディアン(Blind Guardian)、ランニング・ワイルド(Running Wild)、グレイヴ・ディガー(Grave Digger)、ハンマーフォール(HammerFall)、ダーク・ムーア(Dark Moor)などである。
 ここで紹介した有名なカヴァー・アートワークのデザインは、何れも作品や楽曲の持つ世界観に対して、アーティスト側が独自にインスピレーションを得て形となったものだった。つまり、エピック・メタルの壮大な世界観は、楽曲とアートワークが一つになり、そこで初めて完成したのである。
 このように、叙事詩的なヘヴィメタルの世界には、それを彩る幻想的なアートワークが必要不可欠であり、バンドやファンたちも、芸術の分野には、人一倍深い関心を持っていた。常に壮大な視覚的イメージがあるからこそ、エピック・メタルは無限の可能性を放つことができたのだった。


Metal Epic, Sept 2017


▼続きを読む
 8月31日、「週刊文春」やテレビ放送によって明らかとなった、世界的ジャズ・ミュージシャンである日野皓正氏(74)が起こした"ビンタ騒動"。この事件の様子は、Youtubeにアップされた衝撃的な映像の中にも、はっきりと収められていた。
 事件後、日本のワイドショーでは、この"ビンタ騒動"に対する多種多彩な意見が、有名人たちの口から発せられた。ここで問題視されたのは、「日野皓正氏が中学生に暴力を振るった」という部分だった。
 現在の日本には、体罰に関して過剰な反応を示す大人たちが大勢いる。当然のように、この"ビンタ騒動"も大炎上する結末を迎え、私たちは、改めて教育と体罰に関して考える機会を得た。

 しかし、どうしてこのプロのジャズ・ミュージシャンによる"ビンタ騒動"を、わざわざ当ヘヴィメタル専門サイトで取り上げたかというと、"音楽"と"暴力"の二つの要素が、決して無関係ではないと感じたからである。
 実際のところ、従来のヘヴィメタルという音楽は、常に理不尽な"暴力"と接してきたジャンルであり、ファンたちが社会や大人たちから弾圧され、圧力を掛けられるという場面が少なくなかった。つまり、今回の日野皓正氏が起こした"ビンタ騒動"にも、日本の一人のヘヴィメタル・ファンとして、疑問に感じる点が多かったのである。

 日野皓正氏の言い分は、「猪木のビンタより痛くない。ビンタも必要な時もある」というものだった。また、連日のワイドショーでは、有名人たちの口から、「昔は体罰もアリだった」という意見が数多く挙がった。所謂、「体罰容認派」だ。
 8月20日、東京・世田谷区の世田谷パブリックシアターの中で、日野皓正氏は、中学生をビンタすることによって、その演奏(ドラムソロ)を中断させた。
 しかし、そこには、ある図式が完成していた。
 音楽を演奏する場において、子供の"表現"が、大人の"暴力"によって止められたのである。

 確かに、日本の60代~70代の大人たちは、自らの社会的立場や周囲の規律を守ることに関しては、特に敏感な世代だった。何故なら、そういった大人たちは、殆どが戦争経験者であり、日本の古い軍事教育を目の当たりにしているからだ。
 また、このような古い思想に固執した高齢の大人たちが、子供たちの表現の自由や将来の可能性を奪い去っていくことは、決して珍しい出来事ではなかった。以前、当サイトでは、ヘヴィメタルのファンたちが、社会の大人たちに抑圧されてきた歴史を書いたが、そういう恐ろしい出来事は、世間の裏側で頻繁に起こっているのだった。

 今回、"ビンタ騒動"を起こした日野皓正氏は、世界的ジャズ・ミュージシャンという立派な肩書きを持ち、結果的には、それが一般人たちから注目を集める引き金となった。恐らく、一般人たちは、無名のミュージシャンが同じような事件を起こしたら、見向きもしなかったのかも知れない。
 しかし、このようにして、"音楽"と"暴力"という、殆ど無関係だと思われてきた要素が交わる事件が起きたことを、現代の私たちは忘れないようにしたい。

Vulgar Display of Power




▼続きを読む
 一般的に"過激音楽"と呼ばれるヘヴィメタルは、ファンたちの背景にも見逃せない現実が存在している。
 実際のところ、自らが好きでヘヴィメタルのファンになったという人間は少ない。その理由は、悪質な家庭環境や社会の圧力などと、このジャンルが無関係ではないからだ。
 つまり、ヘヴィメタルのファンたちは、家庭環境や社会に何かしらの疑問を感じ、このジャンルを追求している。過激な音楽を追求する理由は、そこに人間の真実があるからだ。
 本来、人間とは弱肉強食の世界で生きてきた存在だったが、ある時から社会的な方向性を見出した。そして、数多くの大人たちは、自らの子供たちに対して、「人々は平等だ」と語ってきた。
 「噓も方便」という言葉があるが、この大人たちが語ってきた内容こそがそうである。
 例えば、ヘヴィメタルというジャンルを考えた時、そこには平等な評価や対等な立場などは存在していなかった。ここには、人間の不満、葛藤、憎悪、絶望などがあった。
 詰まるところ、ヘヴィメタルに目覚めた若い子供たちは、決して無知ではなかった。彼らには、周囲の大人たちの嘘を見抜く力があったのだ。だからこそ、過激な音楽に関わって、そこに人間の真実を見出そうとしてきた。

メタリカ 真実の瞬間 スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]




▼続きを読む
 子供と親世代の音楽の趣味が違うのは当然だが、一方的に好みを禁じるのは間違った行為だ。何故なら、人間が音楽に求めている要素は、それぞれ異なるからである。
 しかし、日本の教育の現場では、子供たちの趣味を受け入れられない親たちが増えている。特に親たちがNGを出すのが、所謂「ヘビメタ」である。
 ヘヴィメタルの何が親世代に嫌悪感を抱かせているのか。
 その代表的な理由は、ヘヴィメタルの持つ過激なサウンドである。家の中で子供がヘヴィメタルを大音量で鳴らせば、一瞬にして、家族の憩の場には、容赦のない険悪なムードが流れる。
 つまり、この国の大多数の親たちは、子供がラウド・ミュージックの世界に足を踏み入れることを避けたいのだ。
 また、親たちの間では、ヘヴィメタルの持つ歌詞も問題視されている。
 例えば、有名なヘヴィメタル・バンドであるブラック・サバスやメタリカなどを挙げてみても、歌詞の中では、悪魔や社会への反逆行為が扱われている。ヴェノムやメガデスなどのグロテスクなアルバム・ジャケットを見れば、親たちは真っ先にそれらの処分先を考えるだろう。
 当然のように、親たちがこうしたヘヴィメタルを良いと感じるはずもなく、結果的に「ヘビメタは駄目」となるのである。
 しかし、ここで親たちは、自らが歩んできた人生を振り返って、子供たちの将来を深く考えて欲しい。自分は人のことを言える人間なのだろうか。子供たちは親の操り人形ではなく、優越感を得るための道具でもない。
 既に日本には、親たちのエゴで不幸になった子供たちが大勢いる。そこにヘヴィメタルは深く関わっていない。

ユースアネイジア




▼続きを読む
 この世界には多種多様な音楽があるが、過激なジャンルには悪いイメージが付くものである。例えば、ヘヴィメタルも一般人からは色々な批判を受けている。
 ヘヴィメタルの持つ悪いイメージとして、"騒音"や"怖い"という部分が定着していることは、ファンたちも承知の通りである。しかし、一般人たちのイメージの中には、「ヘビメタは頭悪い」という内容まであるから驚きだ。
 つまり、ヘヴィメタルに関わっている人間は、低学歴で貧乏だというのが、一般人たちの持つイメージの一つである。確かに、ヘヴィメタル系のミュージシャンの中には、個人的な理由で教育を受けられなかった者がおり、中学・高校を退学しているケースも多い。しかし、彼らは独学で楽器の演奏、作詞、作曲方法を学び、レコード会社から幾つもの作品を発表している。
 また、実際にインドネシアでは、高学歴の人間がヘヴィメタルを聴く傾向があり、大統領のジョコ・ウィドド氏もこのジャンルの大ファン。その他にも、福島県の知事、内堀雅雄氏もジューダス・プリーストの大ファンである。
 一般人たちを動かしていく国や地域のリーダーが、ヘヴィメタルのファンである事実は、見逃せない要素だろう。つまり、従来の日本人たちが抱いてきた「ヘビメタは頭悪い」というイメージは、現在では正しいとは言えない。

背徳の掟




▼続きを読む
 恐らく大人や高齢者たちに最も嫌悪されている音楽がヘヴィメタルである。その理由には様々な意見があるが、このジャンルが持つイメージが悪いことも深く関わっている。
 例えば、世界各地のヘヴィメタル・シーンの中では、殺人事件や麻薬問題が絶えないし、それを見た大人たちが悪いイメージを持つのも当然である。しかし、日本に限っては、海外の音楽シーンとは少し事情が違う。
 実際のところ、日本にはヘヴィメタル関連の最新情報が殆ど入ってこない。有名な某音楽番組で「ヘヴィメタル特集」などをやる訳がないし、ラジオで掛けられる音楽は、流行の最新ヒット曲に限られている。
 決定的なのは、大多数の日本人たちが、海外のラウド・ミュージックに対して、「怖い」というイメージを定着させている部分だ。これは従来のメディアの誤った報道が悪いのだが、ステレオタイプな日本人たちは、今でも昔の「ヘビメタ」のイメージを信じ切っている。
 可笑しいと感じるのは、最新の家電や高度な家の設備を求める日本人たちが、音楽に対しては、新しいイメージを必要としていない部分である。
 詰まるところ、この国の大多数の人間たちにとっては、「ヘビメタ=怖い」というイメージが正しいのだ。
 当然のように、世界のヘヴィメタル・シーンの中には、本当に怖いバンドもいるので、そこは自分たちの目で確かめて欲しい。

Slipknot




▼続きを読む
 日本への本格的なラウド・ミュージックの輸入以降、大勢の人間たちに嫌われてきたヘヴィメタル。かつて、日本のメディアは、この音楽を「ヘビメタ」と呼び、子供たちの親世代や高齢者たちから大きな非難を浴びることがあった。
 そして、2010年代に入った現在では、日本国内で新たに「ヘビメタ・アレルギー」という病気が蔓延している。この特殊な病気は、ハード・ロックやヘヴィメタルなどの過剰な大音量を使う音楽(ラウド・ミュージック)に対して、精神的な苦痛を感じるというものだ。
 実際に「ヘビメタ・アレルギー」を発症している人間は、ラウド・ミュージックに対する免疫がないというケースが殆ど。つまり、近所や街中でそういった過激音楽を聞くと、何故か精神的に耐えられなくなるのである。
 例えば、都心の自宅や庭でヘヴィメタルを聴いていた子供たちが、近所の住人によって、一方的に警察に通報されるというケースが増加している。ツイッター上でも、「ヘビメタ騒音で通報しました、されました」という報告例が後を絶たない。
 こうした事件の背景にあるのは、間違いなく「ヘビメタ・アレルギー」を発症している人間たちの存在だ。
 詰まるところ、「ヘビメタ・アレルギー」を発症している人間たちは、どうしてもこの音楽を受け入れられないため、最終的には、警察への通報や集団での圧力といった方法に頼るのである。最悪の場合、ツイッター上で大炎上した神奈川県の青山学院大学(正確には青山学院大学相模原キャンパス)のように、「ヘヴィメタル禁止令」が発令されることとなる。
 現在、日本の大勢のヘヴィメタルのファンたちは、この「ヘビメタ・アレルギー」という深刻な問題に直面しており、一刻も早く明確な治療法を探す必要がある。この「ヘビメタ・アレルギー」問題が解決されない限り、日本でのヘヴィメタルに対する悪いイメージや圧力はなくならないだろう。

Metal Black




▼続きを読む

-The Battle Jacket-



「袖無しパッチGジャン」と世間の白い目
patch-bros.jpg ヘヴィメタルのファンたちの間に浸透しているファッション・スタイルの中には、一般人たちがドン引きするようなものが数多く存在している。
 その中でも、圧倒的な"ダサさ"で一般人の目を釘付けにするのが、「袖無しパッチGジャン」である。これらは「パッチ付きGジャン」、「バトルジャケット」(Battle Jacket)とも呼ばれる。
 この異様なファッション・スタイルが音楽シーンに定着したのは80年代頃。主にバンドTシャツやデニム系アイテムが、世界中のロック・ファンたちの間に浸透した時期である。
 そして、満を持して「袖無しパッチGジャン」の登場。
 やがて、ヘヴィメタルのファンたちは、まるでお互いを高め合うかのように、自らカスタマイズしたオリジナルの「袖無しパッチGジャン」を、世界中のコミュニティ・サイトやライブ会場などで披露するようになっていく。
 これを最初に考えた人物は定かでないが、現在では、ヘヴィメタル系のバンドのライブ会場では、必ずこうしたファッション・スタイルに身を包むファンたちが目撃される。
 ここまでファンたちの間に浸透した「袖無しパッチGジャン」だが、一般人(特に若い女性たち)の評価を考えると、極めて恐ろしい結末を迎える。何故なら、身近な男性に対して、常に清潔感を求める現代の女性たちは、唯でさえ不潔な印象を持つバイク/ロック系のファッションを毛嫌いしているからだ。
 汗臭いハーレー乗りたちが愛用してきた袖無しGジャンと、極悪なヘヴィメタル・パッチが合わされば、正に鬼に金棒。一瞬にして、全ての若い女性たちを敵に回すこととなる。
 当然のように、個人のファッション・スタイルは自由なものだ。
 しかし、家庭を持つ大人にもなれば、必ず周囲の目を気にする時期がやってくる。その時、私たちは「袖無しパッチGジャン」を着て、親戚や友人などの前に出ていけるのだろうか。
 実際のところ、これらの過激なファッション・スタイルは、ラウド・ミュージックのファンたちがライブ会場で着る衣装のような意味合いを持ってきた。ライブ会場で派手な衣装を身に纏うのは、何もミュージシャンたちだけではないのだ。
 そういった熱狂的なファンたちの存在によって、巨大なヘヴィメタル・カルチャーの基盤は支えられている。
 そして、ライブ会場で着る派手な衣装も、一度でも会場の外に出てしまえば、一般人たちの感情を煽る凶器になるのである。


▼続きを読む
 「ヘビメタなんか嫌い」と口に出す日本人は非常に多い。その背景には、この国にヘヴィメタル・カルチャーが浸透していないという原因がある。つまり、殆どの日本人は、外見的なイメージでヘヴィメタルを嫌っているのだ。
 一般的な"ヘビメタ嫌い"が進行していくと、それが「ヘビメタ・アレルギー」を発症させるから厄介だ。このアレルギーの概要は、ヘヴィメタルという言葉を聞くだけで、生理的な嫌悪感を抱くというものである。
 つまり、日本国内の「ヘビメタ・アレルギー」の患者たちは、症状の悪化を防ぐために、この音楽に関わることを一切シャットダウンする必要があるのだ。
 どうしてこういった状況になってしまったのか。今となっては、その正確な原因を追求することは困難となっている。
 なぜなら、日本の悪質なメディアは、常にヘヴィメタルの正しい知識や情報を世間から遠ざけているからである。
 そして、純粋無垢な子供たちの親は、未だに「ヘビメタは悪魔の音楽」という教育を徹底している。

狂気のスラッシュ感染




▼続きを読む

-The Skull Ring-



ヘヴィメタル・ファンとスカルリングの関係性
Metal_Ring.jpg ヘヴィメタル文化と密接に結び付いている他ジャンルの中には、私たちが日常的に接するファッションも含まれている。ヘヴィメタルのファンたちは、自らのアイデンティティーの象徴として、黒いアイテムやスカル系のジュエリーなどを好んできた。
 一般的にスカルリングは、男性向けのファッションアイテムであり、そこには、単純にクールだという評価が定着している。しかし、現代の若い女性たちにとっては、スカル系のジュエリーは、まるで禁忌のような存在となっている。
 当然のように、従来のヘヴィメタルのファンたちは、周囲の白い目を気にすることもなく、平然とスカル系のジュエリーを身に着けてきた。
 例えば、有名なヘヴィメタル系のミュージシャンたちの過去の写真を見ても、指にはいつもシルバーのスカルリングがあった。言うまでもなく、「スカル=ロック」というイメージは、現在でも変わることのないものである。
 こういった過去からの影響があって、現在のヘヴィメタルのファンたちのファッションも形作られている。「周りの言葉なんて気にしない」それがヘヴィメタル文化が生み出したファッション・スタイルである。
 スカルリングがダサくてもそれを嵌める。それがヘヴィメタルのファンたちの不変のアティテュード。


▼続きを読む
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。